ランキング参加中旅行 ランキング参加中歴史 ランキング参加中映画 「この夏はカンボジアに行こう。」その夏そう思い立って,ポンちゃんに話すと,いつもと違ってその返事は快いものではなかった。たいていどこへでも,私に付いてきたがる彼女であったが,「…
朝の急行でローマに向かう。着いたのはローマ・テルミニ駅。「テルミニ」は英語の「ターミナル」である。日本語では「始発駅」あるいは「終着駅」であるが,「始発駅」ではあまり趣がない。「終着駅」というと,文学作品や映画のタイトルにもなりそうで感じ…
ウフィツィ美術館をアルノ川沿いに出ると世界でもっとも有名な橋の1つポンテ・ヴェッキオが見える。「ヴェッキオ」というイタリア語はよく耳にする単語であるが,「古い」という形容詞である。「ポンテ」は「橋」だから特別な名前ではなくて「古い橋」となる…
ロッサ通りを東に進むとシニョーリア広場が見えてくる。フィレンツェ観光のもう一つの中心地ヴェッキオ宮殿が建つ。何度もいうようであるが,日本人がイメージする宮殿ではない。故に邸宅と訳してきたが,ヴェッキオ宮殿は市庁舎という方がふさわしい。ここ…
紋章を見たあとこのまま南へ向かうと共和国(レプブリカ)広場に出るが,広場を過ぎるとカリマラ通りに入る。入るとすぐに羊毛を取り扱う職人・商人のギルドがあった邸宅が残っている。イタリアのギルドはアルテと呼んだということはすでに触れた。アルテとは…
サヴォナローラののちメディチ家は,ピエロの跡をロレンツォの二番目の息子ジョヴァンニが継いでいた。このジョヴァンニ,16歳の若さで枢機卿の地位を得ている。もちろん親の七光りである。ジョヴァンニはフランスの大敵ハプスブルク家の援助を受け,1512年…
ここにサヴォナローラという修道士が登場する。ジロラモ=サヴォナローラは,ロレンツォ存命中からフィレンツェで説教をおこなっていた。その内容は政治と信仰の腐敗,つまりはメディチ家への批判である。ロレンツォの死後,着実に信奉者を増やしていったサ…
ピエロのあとを継いだのはその息子ロレンツォであった。ロレンツォは「イル=マニーフィコ」とよばれる。「偉大な」という意味である。メディチ家最盛期であると同時にフィレンツェ・ルネサンス最盛期をつくり出した男である。政治感覚にも秀で,ミラノ公国…
サン・ロレンツォ教会には,新旧二つの聖具室がある。旧聖具室はブルネルスキが,新聖具室はミケランジェロが設計した。まぁ豪華なのはミケランジェロの方だが,旧聖具室では面白いものがみられる。ブルネルスキに設計を依頼したのがジョヴァンニ=ディ=ビ…
フィレンツェの街歩きに出かける。大雑把に北から南下する形で駅前からローマ門に向かってフィレンツェを縦断する。まずはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会から東にサン・ロレンツォ教会へ向かう。途中の小さな通りには所狭しと革製のバッグ・ベルト・ジャケ…