You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ベトナム

ハイバー・チュン~ベトナム紀行㉘~

ハイバー・チュン ホテルで汗を流して休憩したあと,再び出かける。フロントのスタッフにタクシーをつかまえてもらい,ドライバーに行先を伝えてもらった。昨日みなで場所を探した「デン・ハイバーチュン」である。ホテルから南へ車で10分。ハノイの下町にそ…

阿倍仲麻呂とミグ~ベトナム紀行㉗~

ホー=チ=ミン廟の東にあるタンロン遺跡へと向かう。北ベトナムの歴史の大半,その中心であった場所である。まだ中国とベトナムの国境があいまいであった古代,このあたりには古越とよばれる人々が暮らしていた。「越」はベトナムをあらわす漢字であるが,…

線路は立派な通路です~ベトナム紀行~㉖

この日は街を歩き回る。まずはホーチミン廟へ向かう。このとき私はMaps.Meというオフラインで使用できる地図アプリを使用していた。ルート検索をして歩き出し,しばらくするとあることに気づいた。ルートは線路上を示しているではないか。 半信半疑で進んで…

ウォーター・パペット~ベトナム紀行㉕~

荷物を置いて街に出かける。もうすでに日は傾いていた。この日はできることに限りがある。できることは何か。水上人形劇の鑑賞である。水上人形劇場はベトナム各地にあるが,ハノイが本場である。ホテルから歩いて数分のところ,ホアンキエム湖の北のほとり…

ゴールデンエイジ~ベトナム紀行㉔~

懐かしい記憶の中のホン川に感動しているうち,車はハノイ市内に入る。まもなくホテルに到着。予約したゴールデン・サン・スイーツ・ホテルは幅3メートルほどしかない4階建ての細身の建物であった。よくみると隣のホテルはゴールデン・パレス・ホテルとなっ…

ホン川~ベトナム紀行㉓~

ラオスに行くにあたって一度ハノイに立ち寄ることにした。ハノイはベトナムの首都である。ホテルはトリップアドバイザーで上位の3つ星ホテル。口コミ評価が抜群によく,立地も申し分なかった。ホテルにはあらかじめメールで送迎をお願いしておく。 ハノイ国…

ベトナム人の矜持~ベトナム紀行㉒~

クチの見学を一通り終えたあと,私たちが腰かけていたテーブルにガイドさんがお茶とお茶請けをもってきてくれた。皮を剥いた白い山芋のようなその食べ物はキャッサバであるという。タピオカなどの原料である。生でみたのは初めてで,当然食するのも初めてで…

AK47とM16~ベトナム紀行㉑~

クチでは実弾射撃を体験できるコーナーがある。面白いのはAK47とM16の両方が置いてあったことである。AK47,すなわちカラシニコフはソ連製のアサルトライフル(突撃銃)。ソ連のミハイル=カラシニコフが設計し,1949年に配備された。部品が少なく扱いやすく,…

クチ~ベトナム紀行⑳~

クチに行く。ホーチミン市から北西に約50㎞,車で約1時間のところにその場所はある。ベトナム戦争時,南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)の拠点があった場所だ。解放戦線の地下トンネルが今も残されている。ホーチミンの旅行会社のオプショナルツアーに申し込…

ベトナムのインド文化~ベトナム紀行⑲~

強烈なスコールはいつのまにか止んでいた。マーケットを出て,西に歩く。スリ・タンディ・ユッタ・パニというとても覚えられそうにないヒンドゥー寺院があるので行ってみる。中にはだれでも入れる。ガネーシャ(象),ハヌマーン(猿)などヒンドゥーらしい神々…

マーケットの女たち~ベトナム紀行⑱~

ニョクマムの香りにまみれて,マーケットには衣料品店や雑貨店がところ狭しと並んでいる。店主や店番はたいてい女性である。若い店員の多くは半そでのシャツに短い黒いタイトのスカート,足を組んで,やはりあの低い椅子に座りスマートフォンをいじっている…

ベトナムの匂い~ベトナム紀行⑰~

ベンタイン市場は先に訪れたビンタイ市場と名前はよく似ているがホーチミン市の中心寄りにあるマーケットである。中華街にあるビンタイ市場とは違ってこちらはどちらかというと西洋風の建築である。 マーケットに入る前に雲行きが怪しくなってきた。ポツポツ…

社会主義国の信仰の自由~ベトナム紀行⑯~

ビンタイ市場に近いチャータム教会は,カトリック教会である。クリーム色の聖堂の尖塔が特徴的であるが,赤い門柱と瓦屋根の門,聖堂の前のマリア像を囲う屋根,これらは何とも中国風でミスマッチである。門には「天主堂」という文字が書かれている。ここで…

チョロン~ベトナム紀行⑮~

チョロン地区へいく。マジェスティックからだと南西に5~6㎞のところ,ホテル前からタクシーを捕まえて行くのだが,支払いはベトナムドンになる。運転手にあらかじめいくらぐらいかかるかと尋ねておく。あとでトラブルにならないための海外での常識である。…

ドイモイ~ベトナム紀行⑭~

パリ・コミューン広場に面して中央郵便局がある。この建物もまた大聖堂と同時期に建てられたコロニアル建築である。その門構え,内部の天井のアーチや接客窓口などはヨーロッパの駅を思わせる。奥にはホー=チ=ミンの写真(? 肖像画であったか?)が飾られ,…

ベトナム文字~ベトナム紀行⑬~

ベトナムに大きな影響を与えた人物にアレクサンデル=ドゥ=ロード(ローズ)というフランス人がいる。イエズス会の宣教師で17世紀の人物である。 ベトナムにはベトナム文字という民族文字が存在しない。ベトナムは古くから北部は中国の,南部はクメール王朝(…

サイゴン大聖堂~ベトナム紀行⑫~

ドンコイ通りをさらに北西に歩くと,その先に街路樹の隙間から赤煉瓦の建物が見えてくる。サイゴン大聖堂。フランス植民地時代に建てられたカトリックの教会である。グレアム=グリーンは『おとなしいアメリカ人』の中で,その場所を「悪趣味なピンク色の大…

カトリーヌ=ドヌーヴ~ベトナム紀行⑪~

第一次インドシナ戦争を題材にとった映画には『インドシナ』(1992)というフランス映画がある。こちらはカトリーヌ=ドヌーヴ主演ということで飛びついた。彼女が若いころ主演した『シェルブールの雨傘』(1964),『ロッシュフォールの恋人たち』(1967)は私が…

コンチネンタル・サイゴン~ベトナム紀行⑩~

マジェスティックはホーチミン市の目抜き通り,ドンコイ通りの南東の端にある。まずはこの通りを北西に歩く。通りはカフェやブティック,雑貨店など旅行者向けのショッピングストリートになっている。建物はたいてい3~4階建で圧迫感はない。通りの両サイド…

開高の部屋~ベトナム紀行⑨~

マジェスティックには世界の数々の著名人が宿泊しているが,その中にはベトナム戦争を取材し,あまりにも有名な『安全への逃避』をはじめ,数々の写真を残した戦場カメラマンの沢田教一もいる。彼は1970年,カンボジアを取材中に命を落としている。 同じ時期…

サイゴンの一番長い日~ベトナム紀行⑧~

朝食は5階のブリーズ・スカイ・バーでとる。一部オープンテラスとなっている。もちろんビュッフェ形式だが,頼むと好みの卵料理はもちろん,フォー(ベトナム麵)やベトナムアイスコーヒーも作ってくれる。1975年,産経新聞の特派員であった近藤紘一がサイゴン…

ホテル・マジェスティック・サイゴン~ベトナム紀行⑦~

ホテル・マジェスティック・サイゴン サイゴンではコロニアル様式のクラシックホテルと決めていた。選択肢は早くから2つに絞っていた。コンチネンタルかマジェスティックである。悩んだ末にマジェスティックに決めた。決め手は予約の際の無料サービスが充実…

アメリカの撤退~ベトナム紀行⑤~

大学の二次試験を終えたあと,そのまま大阪梅田の映画館に立ち寄って見たのは『7月4日に生まれて』(1989)であった。映画好きではあったが,奈良の田舎出身の私の近くに映画館はなく,大阪まで出ないとロードショーをみることはできなかった。深夜を含めてテ…

戦争映画のステレオタイプ~ベトナム紀行④~

アメリカ人,ベトナム人両者の生き地獄が8年間続く。アメリカ兵の中には精神に異常をきたすものもいた。多くの兵が帰国してなお,その後遺症に悩まされた。ベトナム戦争を題材にとった映画の多くは,崩壊していくアメリカ兵の精神状態に焦点があてられている…

アメリカの介入~ベトナム紀行③~

ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイに…

インドシナ戦争~ベトナム紀行②~

ベトナム戦争について簡単に話しておかなければならない。 19世紀末からベトナム・ラオス・カンボジアの三国はフランスの保護国となった。これをフランス領インドシナという。保護国とは植民地の体のよい別称である。第二次世界大戦が始まり,宗主国フランス…

サイゴン~ベトナム紀行①~

「サイゴンに行く。」この都市をつい「サイゴン」と呼んでしまうのは,やはりベトナム戦争の記憶からであろうか。とはいえ私にとってのベトナム戦争は,現実の戦争・戦闘についてのことではない。戦争が終結した1975年といえば,私はまだ小学生にもならない…