You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

世界史

ベトナムのインド文化~ベトナム紀行⑲~

強烈なスコールはいつのまにか止んでいた。マーケットを出て,西に歩く。スリ・タンディ・ユッタ・パニというとても覚えられそうにないヒンドゥー寺院があるので行ってみる。中にはだれでも入れる。ガネーシャ(象),ハヌマーン(猿)などヒンドゥーらしい神々…

社会主義国の信仰の自由~ベトナム紀行⑯~

ビンタイ市場に近いチャータム教会は,カトリック教会である。クリーム色の聖堂の尖塔が特徴的であるが,赤い門柱と瓦屋根の門,聖堂の前のマリア像を囲う屋根,これらは何とも中国風でミスマッチである。門には「天主堂」という文字が書かれている。ここで…

チョロン~ベトナム紀行⑮~

チョロン地区へいく。マジェスティックからだと南西に5~6㎞のところ,ホテル前からタクシーを捕まえて行くのだが,支払いはベトナムドンになる。運転手にあらかじめいくらぐらいかかるかと尋ねておく。あとでトラブルにならないための海外での常識である。…

ベトナム文字~ベトナム紀行⑬~

ベトナムに大きな影響を与えた人物にアレクサンデル=ドゥ=ロード(ローズ)というフランス人がいる。イエズス会の宣教師で17世紀の人物である。 ベトナムにはベトナム文字という民族文字が存在しない。ベトナムは古くから北部は中国の,南部はクメール王朝(…

サイゴン大聖堂~ベトナム紀行⑫~

ドンコイ通りをさらに北西に歩くと,その先に街路樹の隙間から赤煉瓦の建物が見えてくる。サイゴン大聖堂。フランス植民地時代に建てられたカトリックの教会である。グレアム=グリーンは『おとなしいアメリカ人』の中で,その場所を「悪趣味なピンク色の大…

カトリーヌ=ドヌーヴ~ベトナム紀行⑪~

第一次インドシナ戦争を題材にとった映画には『インドシナ』(1992)というフランス映画がある。こちらはカトリーヌ=ドヌーヴ主演ということで飛びついた。彼女が若いころ主演した『シェルブールの雨傘』(1964),『ロッシュフォールの恋人たち』(1967)は私が…

サイゴンの一番長い日~ベトナム紀行⑧~

朝食は5階のブリーズ・スカイ・バーでとる。一部オープンテラスとなっている。もちろんビュッフェ形式だが,頼むと好みの卵料理はもちろん,フォー(ベトナム麵)やベトナムアイスコーヒーも作ってくれる。1975年,産経新聞の特派員であった近藤紘一がサイゴン…

アメリカの撤退~ベトナム紀行⑤~

大学の二次試験を終えたあと,そのまま大阪梅田の映画館に立ち寄って見たのは『7月4日に生まれて』(1989)であった。映画好きではあったが,奈良の田舎出身の私の近くに映画館はなく,大阪まで出ないとロードショーをみることはできなかった。深夜を含めてテ…

アメリカの介入~ベトナム紀行③~

ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイに…

インドシナ戦争~ベトナム紀行②~

ベトナム戦争について簡単に話しておかなければならない。 19世紀末からベトナム・ラオス・カンボジアの三国はフランスの保護国となった。これをフランス領インドシナという。保護国とは植民地の体のよい別称である。第二次世界大戦が始まり,宗主国フランス…

サイゴン~ベトナム紀行①~

「サイゴンに行く。」この都市をつい「サイゴン」と呼んでしまうのは,やはりベトナム戦争の記憶からであろうか。とはいえ私にとってのベトナム戦争は,現実の戦争・戦闘についてのことではない。戦争が終結した1975年といえば,私はまだ小学生にもならない…

ドゥオモン~ヴェルダン③~

ヴェルダン駅から,ドゥオモン要塞とそれに隣接する納骨堂に向う。駅を出たところに止まっていたたった一台のタクシーは,私とは別の車両にのっていた婦人に先を越された。戻ってくる次のタクシーを待つべきか・・・。今とはちがって日曜のカトリックの国の…

西部戦線異状なし~ヴェルダン②~

1916年2月,ここヴェルダンでドゥオモン要塞を巡って第一次世界大戦最大の会戦が繰り広げられた。侵攻してきたドイツ軍をフランスが迎え撃つ。しかしドイツは一方でロシアとの戦いも強いられていたため,ヴェルダンの戦いは12月に終結する。結局両者とも戦前…

ヴェルダン条約~ヴェルダン①~

ロレーヌ地方に向う。ナンシー,メッスといった町がこの地方の中心地で,私が中学生のころは鉄鋼業と都市として学んだ。良質の鉄鉱石が産出され,フランスだけでなく,隣国のルクセンブルクやベルギー,そしてドイツの鉄鋼業をも支えた。フランスに産業革命…

Über den Rhein(ラインを越えて)

大聖堂をあとに,その足をさらに西へと進めてみる。少し時間がかかるがやがて大きな川に出る。ライン川,向こう岸はドイツである。いくつか橋がかかっているようだが,私が訪れたときはまだ橋の通過にはパスポートが必要だった。現在は出入国管理はおこなわ…

聖堂と聖書が自慢です

ストラスブールの駅を降りると目の前に大きな広場がある。広場中央の道を真っ直ぐ進み橋をわたって大通り沿いに進めばグーテンベルク広場に出る。1450年ごろ,活版印刷術を発明したといわれるグーテンベルクが印刷物を手にした像が建っている。前にも話した…

『最後の授業』

ドーデの『最後の授業』は私と同世代の人は懐かしい思い出だろう。小学校の国語の教科書に載っていた短編だが,これほど皆がよくおぼえている外国文学も珍しい。知らないひとのために簡単にあらすじを話すと,ちょうど普仏戦争が終結したアルザスのある少年…

ストラスブール

ストラスブール。いわゆるアルザス=ロレーヌ地方に足を踏み入れる。フランス東部のアルザスとロレーヌ両地方は現在ドイツと国境を接する地方である。アルザスの方が東側にあり,ライン川によってしっかりとドイツと接着している。その中心地がストラスブー…

岩山の黒い聖母~ルピュイ~

リヨンからルピュイという町を訪ねる。「ピュイ」とはフランス語で「丘」を意味する。リヨンからルピュイまではサン=エチエンヌで乗り換えてローカル線で2時間半。降りるとその町名に納得する。むき出しの岩山が地面から突き出している。それだけではない,…

絹の街リヨン

リヨンはローヌ川とソーヌ川が合流する地点に位置し,両川に挟まれている。日本では長良川と木曽川に挟まれた岐阜県羽島市がちょうど同じような形をしている。ローヌ川の定冠詞はleだから男性名詞,ソーヌ川はlaで女性名詞,リヨンはローヌとソーヌという両…

輪になって踊ろう

駅からの通りはやがて狭い路地へと変わり,そのまま進むと広場に出る。教皇庁宮殿前である。正面玄関であろうか,すぐ目に付くのが壁から迫り出した二本の尖塔である。まるで悪魔の角のように威圧的である。その門は建物の規模からすると低く狭く,外観は「…

アヴィニョン

再び列車に乗ってアルルからアヴィニョンまで20分。アヴィニョン中央駅を出るとすぐに城壁が待ち構えている。この城壁を越えてまっすぐ北に向う大通りを進んでいけば目的地に辿り着く。目的地とはローマ教皇庁のことである。ローマ教皇はカトリックを教会統…

アルル

マルセイユからどこに向うか悩んだが,海岸沿いを東に向い,ニース,カンヌ,モンテカルロといったコートダジュール(紺碧海岸)はあこがれの地でもあった。中学時代によく聞いた歌にシャリーンの『愛はかげろうのように』という曲がある。かなり大人な曲だが…

フレンチコネクション

マルセイユのサンシャルル駅は町を見下ろす高台にある。ホテルは駅のすぐ隣にあるArcadeというところにすぐに決まった。(現在はIbisホテル)駅至近にホテルをとるのは,列車移動に便利なのと,駅には食堂が集まっているため,食いっぱぐれることがないからで…

プロバンスとラングドック

フランス第二の都市マルセイユは,フランス最大の港湾都市でもある。日本ではちょうど横浜にあたりそうだが,姉妹都市になっているのは神戸である。紀元前6世紀には古代ギリシャ人の植民地として築かれた。その当時はマッシリア(マッサリア)とよばれた。ギリ…

シュノンソー~ロワール川③~

オルレアンからロワール川に沿って古城を巡る。ブロワ城,シャンボール城,アンボワーズ城,シュノンソー城。一般にロワール川の古城の中で最大のみどころはフランソワ1世とレオナルド=ダ=ヴィンチの因縁があるシャンボール城であろうが,もっとも華麗な出…

フランス料理~ロワール川②~

オルレアンから西へはロワール川沿いに車を進める。途中レストランで昼食をとるがここまで来ると英語がまったく通じなかった。30年以上前の話である。習ったばかりの初級フランス語を駆使して尋ねてみた。「Je peux manger?(食べることができますか)」正しい…

オルレアンへ~ロワール川①~

車を借りて,パリ郊外へと出る。目指すはロワール川の古城であるが,まずはフォンテーヌブローに寄り道する。19世紀半ば,フランスでは印象派が誕生する前段階に,自然主義・写実主義とよばれる絵画が生まれた。パリ南部郊外のフォンテーヌブローや隣村の…

カルチェラタン~セーヌ左岸②~

サンジェルマン通りとサンミシェル通り,2つの大通り(ブルヴァール)が交差するあたり,この周辺はカルチェラタンとよばれる学生街である。「カルチェ」は地区,「ラタン」は「ラテン」を意味する。かつてヨーロッパの学問語であったラテン語が話される地区と…

サンジェルマン~セーヌ左岸①~

セーヌ左岸に宿泊したのは,ロンドンから鉄道で海峡を越えてパリに立ち寄ったときであった。到着駅パリ北駅からRER:B線でシテ島向いのサンミシェル・ノートルダム駅で降りる。翌日はシャルル=ドゴールから空路帰国する予定であったため,空港へ直通するB…