サクレクールでしばし休憩をとったあと,今度は丘を北に下っていく。出発はサクレクール西側のテルトル広場からはじめよう。しかしこの広場に長居は無用だ。お土産用の絵と似顔絵描き,モンマルトルらしい一画ではあるが,それとともに観光客でごったがえしている。スリには要注意。最近はお土産用の絵にもメイド・イン・チャイナが横行していて,小遣い稼ぎに風景画を描いている画家たちが大迷惑を被っているらしい。
テルトル広場を北に進み,道なりにコルト通りを左に曲がる。しばらくいくとモンマルトル博物館があるが,その手前の白壁長屋にエリック=サティが暮らした部屋がある。「6」号室の「6」の数字を探せばよい。部屋番号の上に「作曲家エリック・サティが1890~98年にこのマンションに住んでいた」と表札がかけてある。
サティの曲は日本でもよくCMなんかで使用される。ときにかわったコード進行や和音をつかうため,なんだか妙な違和感におそわれる。最初は気持悪さが残るがそれが変に癖になったりして,いつのまにか心地よさにかわる。それだけではない。サティのすごいところは日常の音を曲に取り入れたところである。サイレン,タイプライター,くじ引き機械,ラジオ,ピストルなど20世紀初頭の雑音を取り入れた。組曲『パラード』にはちゃんとそれらの楽譜まで用意されている。バロック,古典時代にはなかった音がそこにはある。そうかと思えば,「ジュ・トゥ・ヴ(Je tu veux)」(君が欲しい)のような軽やかなシャンソンも多く書いている。「ジュ・トゥ・ヴ」はお気に入りのシャンソンの1つである。
コルト通りを下り突き当りを右に曲がる。ソル通りを下ると右手にあるモンマルトルのブドウ畑。通りを挟んでブドウ畑の向いにラパンアジルが建っている。「身軽なうさぎ」と名づけられたこの酒場も,モンマルトルの芸術家の溜り場であった。きっと向いワインは産地直送であろう。
ブドウ畑の交差点を左に曲がり,ヴィンセント通りを道なりに進むとやや広いコーランクール通りに出る。出たところには焼き栗を売っている屋台があって,栗好きの私はその香りに我慢できず,買うことに。次の目的地まではしばらく歩くことになるので,道々つまむことにした。昔はパリのあちこちで見かけたこの焼き栗屋台,今でも残っているのだろうか。
コーランクール通りを西に進むと,やがて道は南西へと向きをかえる。そのまま南西に歩くと右手にモンマルトル墓地がみえてくる。かなりの広さのこの墓地には著名人の墓が多く建っている。挙げるときりがないが,デュマ,スタンダール,ハイネ,ゾラ,ベルリオーズの名は聞いたことがあるだろう。モンマルトルにゆかりがあるのは画家ばかりではない。興味ある人物の墓参りを済ませたら,もうくたくたのはずである。