You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ポイント・ゼロ パリのはじまり~シテ島①~

 シテ島とその隣のサン=ルイ島はセーヌ川の中洲の島で,ここがパリ発祥の地である。ユリウス=カエサルの『ガリア戦記』ではガリア人(ケルト人)のパリシィ族がこの周辺に住んでいたことが記され(第6・7巻),このパリシィ族が「パリ(ス)」の語源となった。

 ラテン語で都市を「キウィタス(civitas)」というが,学生時代から「シティ(city)」の語源は「キウィタス」だと思っていた。最近シテ島のciteがcityの語源かも知れないという記事を読んだ。そしてシテ島に住む人々が「citizen(市民)」であると。古代からシテ島では「公共」を意識して人々は生活していたということなのだろうか。

 パリを象徴する建築物の1つノートルダム寺院はセーヌに架かるどの橋を渡っても迷わずたどり着ける。昔は日本人観光客を探すのすら困難だったのに,今はアジア系(おそらく中国)の御のぼり観光客で寺院前広場は埋め尽くされている。教会内に入るのにも一苦労しそうだ。

 ノートルダム寺院正面に向って,広場の左(セーヌ川側)にシャルルマーニュ(カール大帝)の像が建っている。476年に西ローマ帝国が滅亡して以来,空位となったローマ皇帝位を,西暦800年にローマ教皇レオ三世から授けられ,フランク王国を神聖ローマ帝国として格上げさせた人物である。

 しかしそのような人物にしては像が置かれている場所が悪い。偉大な人物を称えるならば,普通広場の真ん中に堂々と置かれてよいはず。それがカール大帝に至っては,広場の端,ノートルダムの景観の邪魔になるからといわんばかりに,セーヌ川沿いの並木に隠れそうになって建っている。知っていないと目もくれずノートルダムに向ってしまうだろう。

 調べてみるとこの銅像の発注者はナポレオン3世らしい。19世紀中ごろ,西ローマ皇帝位はこのナポレオン1世の甥の手にあった。ナポレオン3世としてはかつての偉大な皇帝へのあこがれからこの銅像を発注し,自らの功績と重ね合わせて目立つ場所に設置したかったのだろう。しかし像が完成したのは,ナポレオン3世の失脚後,フランスは第三共和政に移行していた。共和国としては皇帝を偲ぶつもりはなく,置く場所に困ったらしい。そこでノートルダムの影で目立たない場所が選ばれたようである。

 ノートルダムを見学する前に,広場の中央に行ってみよう。「ポイント・ゼロ」のプレートが埋め込まれている。ここがパリ,そしてフランスの中心というわけただ。このポイントから計算して,各地の距離が示される。「パリから・・・km」とは,このポイントからの距離である。