You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ヴェルダン条約~ヴェルダン①~

 ロレーヌ地方に向う。ナンシー,メッスといった町がこの地方の中心地で,私が中学生のころは鉄鋼業と都市として学んだ。良質の鉄鉱石が産出され,フランスだけでなく,隣国のルクセンブルクやベルギー,そしてドイツの鉄鋼業をも支えた。フランスに産業革命に遅れをとったドイツが目くじらを立てて,この地を奪いにいったのもロレーヌの鉄鉱石を狙ってのことである。

 フランスはかつてガリアとよばれた。この地をローマの領土としたのはユリウス=カエサル(ジュリアス=シーザー)である。そのときの様子はカエサル自身が記録に残した『ガリア戦記』に詳しい。一方,ドイツはゲルマニアとよばれ,ライン川を境にローマ帝国と対峙していた。そのころの様子はタキトゥスの『ゲルマニア』に記されている。

 

 このフランスとドイツの統一を果たしたのがゲルマニア出身のフランク族の王国であった。その領土は西暦800年に西ローマ皇帝として戴冠したカール大帝(フランス語でシャルル=マーニュ)のころ最大となり,ローマ帝国の復活とカトリック教会との結びつきから歴史上では神聖ローマ帝国ともよばれる。カール大帝のあとを継いだのはルートヴィッヒ1世。彼は敬虔なクリスチャンであったことから「敬虔王」などとよばれるが,問題はこの王の息子たちのころに起こる。

 ゲルマン社会では分割相続が慣習であった。カロリング朝創始者ピピンには2人の息子がおり,この場合二分割相続となるが,一方が早世したため,カール大帝が王国を1人で相続した。その息子のルートヴィヒにも兄弟がいたが,やはり早くに亡くなってしまい,ルートヴィヒが唯一の後継者となった。そしてルートヴィヒには3人の息子がいたが,彼らが壮絶な兄弟げんか,親子喧嘩を繰り広げる。この家族戦争はルートヴィヒの死を契機としておこったフォントノアの戦いでクライマックスを迎えるが,結果ヴェルダン条約が結ばれる。843年のことである。長男ロタール1世がイタリアとアルザス・ロレーヌ地方などを含む中フランク王国。ロレーヌはドイツ語でロートリンゲン。ロートリンゲンとはロタールのことである。中フランクを挟む形で2人の弟,シャルル2世には西フランク王国が,ルートヴィヒ2世には東フランク王国が与えられた。

 その後さらに870年にメルセン条約が結ばれる。ロタール1世の死後,しばらくしてロレーヌ(ロートリンゲン)地方の領有権を巡ってシャルル2世とルートヴィヒ2世がもめる。両者はこれを分割することで丸く治めた。その結果,中フランク王国はイタリアを残すだけとなり,これによって現在のフランス・ドイツ・イタリアの国境のもとが形成された。ちなみにこれら三国の国境が交わるところに現在のスイスが建国された。そのため現在でもスイスではフランス語・ドイツ語・イタリア語にもう1つの言語が公用語となっている。

 とういうわけでこの三国分裂のはじまりとなったヴェルダンにいってみることにした。というのは理由としては実は後付けで,ヴェルダンではもっと別のものがみたかった。無名戦士の墓である。

 ストラスブールからメッスに出る。メッスでローカル線に乗り換えてヴェルダンに向う。一日数本だけ,二等二両編成の小さな列車。一両は禁煙車で一両は喫煙車。当時,ヨーロッパの在来線には必ず喫煙車が連結されていた。今でも時折ヨーロッパの地方では全席禁煙であるにもかかわらず,タバコマークの付いた車両を見かけるのは,かつての名残である。愛煙家であった私は当然喫煙車にのったのだが,乗客は私のほかに体の大きい中年男性が1人だけ。外の風景と同じく車内ものんびりしたものだった。その男性は器用に紙巻タバコを丸めている。その姿が若かった私にはとてもかっこよかった。

 メッスを出てしばらくすると車掌が検札に来る。これもまた日本人の私には驚きだったが,車掌は女性であった。当時日本には女性の車掌などいなかったはずである。その女性車掌は外国人らしく背が高く,やや肉付きもよかったが,背筋がピンと伸びて姿勢がよく,たった2人の乗客にもかかわらず,はっきりとした大きな声で,検札に来たことをアナウンスする。たった2人の乗客を相手する車掌,紙巻タバコをくゆらせる中年男性,異国の若者を乗せた古い車両が田園風景をバックに走る。まるで映画の1シーンにいるように気分であった。

 列車に揺られること1時間半,小さな駅ヴェルダンに到着。とても歴史を動かした条約が締結された町とは思えないくらい小さい。この小さな町は歴史の中で大きく2度注目された。1度目がヴェルダン条約,そして2度目が第一次世界大戦である。ちなみにフランス革命の最中,ルイ16世一家が妻マリー=アントワネットの実家オーストリアを頼って,パリ逃亡を図ったヴァレンヌ逃亡事件,彼らが捕まったヴァレンヌはこのヴェルダンの目と鼻の先である。

 さてヴェルダン条約については先述した。これに関して見るべきものはこの町には残されていない。日本のガイドブックには載っていないこのヴェルダンでどうしてみておきたかったのは,辺り一面を埋め尽くさんと広がる無数のお墓(十字架)であった。それを見たのは中学校の社会の教科書,第一次大戦の触りの部分に載せられた写真であった。