池袋~新宿
上野駅から再び山手線に乗り,池袋で降りる。駅の東側,サンシャインシティを目印に,東池袋中央公園がある。その一画にひっそりと隠れるように「永久の平和を願って」と刻まれた石碑がある。これだけでは何のことか分からないが,さらにその裏側には第二次世界大戦後の戦犯とされた人々の刑の執行が行われた場所であることが記されている。ここはかつての巣鴨プリズン(刑務所)の跡地である。永久平和を願っている碑すら見つけにくい上に,その意味するところを隠すように裏側に刻む。もはや人々に知らしめようとする意図が全く感じられない。この発想に呆れるばかりで,実に恥じ入るべき碑である。
港区 麻布界隈
公園からすぐに取って返し,池袋から新宿へ,東京都庁を一目みたあと浜松町まで行く。浜松町駅を降りて西に見える東京タワーを目印に増上寺を訪ねる。増上寺は先の寛永寺とともに徳川家の菩提寺であった。規模と開け具合は増上寺の方がずっと大きい。
増上寺を出て東京タワー通りを歩くとその麓に金地禅院という小さな寺がある。臨済宗の寺であるが,以心崇伝の江戸住居であった。徳川家康には3人の政治顧問の一人金地院崇伝である。対朝廷政策や法令の建議・策定,宗教統制において彼の力は遺憾なく発揮された。金地院はもともと京都南禅寺に崇伝が構えた院であったが,家康とともに江戸に来たとき,ここにも自邸を構えた。
東京タワーを過ぎ去り,板倉交差点を渡って外苑通りに入ると麻布とよばれる一帯に入る。各国の大使館が立ち並ぶ外交メッカである。すぐにロシア大使館が見える。さすがに広い敷地に大きな建物,そして警備の多さである。少し怪しまれながらも,大使館の裏手に回ると日本経緯度原点がある。いわゆる三角点の基準となる場所である。
再び外苑通りに出て,また西に歩くと北側に外交史料館がある。日本の外交史における貴重な資料が展示されており,日米和親条約や日米修好通商条約などが常設展示されている。
再び浜松町に戻るため地下鉄赤羽橋駅まで戻る。赤羽橋駅の近くにはキューバ大使館があり,キューバに渡航ためのビザを取りに来たことがある。
新橋・銀座・有楽町
1872年,日本最初の鉄道が開通し,その始発駅が現在の新橋駅であった。蒸気機関車の車両がランドマークのテレビの街頭インタビューで使われるのは駅の西側の広場で,反対の東側から徒歩10分ほどのところに旧東京停車場鉄道歴史展示室があり,開業当時の様子を知ることができる。
鉄道歴史展示室から縫うようにして西に進むと築地本願寺に出る。築地本願寺は西本願寺の別院で,江戸時代に建立が許された。現在の地は門徒たちが海を埋め立てて土地を築いたため,この一帯を「築地」と呼ぶようになった。現在の建物は20世紀に入ってからのものであるが,イスラム風とも西洋風ともとれるその建築様式は,仏教発祥のインド様式とのこと。ここまで来たついでにかつての(旧)築地市場で海鮮丼を食べたが,ここで食べた海鮮丼は生涯で忘れられないほど美味しくなかった。
来た道を折り返し,銀座に入る。銀座三丁目,銀座二丁目交差点を過ぎたところで銀座発祥の地の石碑がある。丁度ティファニー銀座本店の目の前である。江戸時代の初め,銀貨の鋳造所がこの辺りに置かれ,その役所が現在のティファニー本店ビルに置かれた。
この銀座中央通りと並行に一本有楽町駅側の通りはガス灯通りとよばれ,明治時代に文明開化の象徴として銀座に設置された。通りにはその復元されたものが並んで建っている。ガス灯通りを銀座三丁目方向まで戻り,北西方向に折れて10分も歩けば,有楽町駅にたどり着く。あなたと私の合言葉「有楽町であいましょう」は1950年代,この地に進出した百貨店そごうのキャッチフレーズであった。現在その跡地にはビッグカメラがある。