You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

アメリカの介入~ベトナム紀行③~

 ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイにかわって,自らが支援するゴ=ディン=ディエムを元首につける。国名はベトナム共和国とした。ゴ政権は,休戦協定で定められた自由選挙を拒否。分断された国の統一はならかった。

 ホーら北ベトナム(ベトナム民主共和国)は,これに対し武力闘争によって南の傀儡政権(ベトナム共和国)の転覆を呼びかける。1960年,これに呼応するように南ベトナム内で,サイゴン政権とアメリカに対する反政府組織が結成される。南ベトナム解放民族戦線(NLF)と彼らは自称したが,サイゴン政権やアメリカからはベトコンと蔑称された。ベトナムのコミュニスト(共産主義者)という意味である。確かにベトコンを主導したのは共産主義の北ベトナムであったが,南ベトナム内の自由主義者,学生,仏教徒,一般市民までがこれに参加したことでベトナム共和国内は内戦状態になり,事実上のベトナム戦争が始まったといってよい。そしてNFLが結成されたこの年,アメリカではジョン=フィッツジェラルド=ケネディが大統領選に勝利する。

 1961年,大統領に就任したケネディは南ベトナムに軍事顧問団という名目で部隊を派遣する。63年,ケネディが暗殺されたことで,副大統領から大統領に昇格したリンドン=ジョンソンもこれに続く。1965年,次の大統領選で正式に勝利して再選したジョンソンのときにその事件はおこった。後に「トンキン湾事件」とよばれた事件である。

 1965年8月2日と4日に,南シナ海のトンキン湾でアメリカの駆逐艦マドックスが北ベトナムから魚雷攻撃を受けた。4日の攻撃についてはアメリカ政府の捏造であったことが後に判明したが,この事件はアメリカが表立って派兵する絶好の口実となった。ジョンソンはこれを機に空軍に北ベトナム爆撃を命じた。ローリングサンダー作戦。沖縄にはその主力B52爆撃機が配備された。「ローリングサンダー(轟く雷鳴)」といえば,日本人はアリスの『冬の稲妻』の歌詞(you’re rolling thunder)を思い出すが,同名の『ローリングサンダー』(1977)というベトナム帰還兵の狂気を描いた映画がこの曲と同じ年に作られ,若き日のトミー=リー=ジョンーズが出演している。この時代,私はまだ幼かったのでよく知らないが「ローリングサンダー」という語がどうも一世を風靡していたようだ。

 韓国もまたこの戦争に巻き込まれていく。韓国は朝鮮戦争以降,共産主義に対するアジアの砦でもあった。アメリカの協力なしでは祖国を防衛できない点では南ベトナムと変わりなく,韓国軍はアメリカ軍とともにベトナムに降り立った。アメリカはベトナムとの戦争に備えるため,韓国への資金援助を当時経済成長著しい日本に任せようとする。日韓基本条約の締結,韓国との国交回復の背景にはベトナム戦争があった。

 ベトナム戦争はもともと南北のベトナム同士の戦争であったが,アメリカの介入によって構図が変わった。北ベトナム・NLF(ベトコン)VS南ベトナム・アメリカである。NLFは南ベトナム内の潜伏組織であるため,南ベトナムとアメリカにとって敵味方は容易に区別できるものではなく,戦争が泥沼化した原因は熱帯のジャングル戦であるとともにNFLの力によるものが大きかった。