You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

開高の部屋~ベトナム紀行⑨~

 マジェスティックには世界の数々の著名人が宿泊しているが,その中にはベトナム戦争を取材し,あまりにも有名な『安全への逃避』をはじめ,数々の写真を残した戦場カメラマンの沢田教一もいる。彼は1970年,カンボジアを取材中に命を落としている。

同じ時期,1964年~65年にかけて,朝日新聞社の特派員として作家の開高健も宿泊先として利用した。本館の103号室が彼の宿泊した部屋で,扉の横には開高についての説明が書かれている。館内にはフランス人俳優カトリーヌ=ド=ヌーブとともに開高の写真も飾られている。103号室は現在でも宿泊可能だが,部屋にも彼の写真が掛けられているので,私ならその目線が気になって眠れそうにない。

 私のベトナム人観は,彼の書いたルポタージュ,『ベトナム戦記』の中に書かれたベトナム人(兵士)によるところが大きい。その最後半部にはこう書かれている。少し長くなるが引用する。下線部は私による。

 全身血みどろになった兵隊が1人,茂みのなかからでてきたが,銃弾の走り回るなかを彼はまるで散歩でもしているかのような顔つきで歩いていた。のんびりと歩いてきて軍医のところへいき,しゃがみこんで傷を見せた。チラと見ただけでも大腿部の傷はバラの花のように大きくはじけていた。ところが負傷兵は呻きもしなければ,悶えもせず,ぼんやりと自分の傷口を見おろしていた。まるで神経がないみたいなのだ。ふしぎな光景であった。彼一人だけではなく,どの負傷兵もみんなそうなのだ。

 いったい彼らの内部の何者がこれほど異様にして強力な自制心を発揮させるのか,いまだに私にはわからない。兵士としては地上最低の彼らなのに肉の苦痛に対する忍耐力と平静は聖者をもしのぐかと思われた。…信念なき政府軍兵士も信念だけのベトコン兵士もこの点だけはまったくおなじであるらしい。普遍的なベトナム人の特性であるらしいのだ。…貧困のどん底に生まれたベトナムの農民たちはいったいどんな育てられ方をしてこのような真空状態に達するのだろうか。異民族による搾取が彼らにこの沈黙をあたえたのだろうか。儒教の倫理が教えたのだろうか。仏教が肉と現世を徹底的に侮蔑して最大の苦痛の瞬間に復仇をとげよと教えたのだろうか。貧困が彼らから苦しみ,表現する力を殺してしまったのだろうか。かつてのベトミン軍や,いまのベトコン軍が発揮する豪胆無比の雄弁,抵抗,闘争,底知れぬ忍耐力と持久力はこの沈黙のうちに秘められた圧力を爆発させたものに違いない。…けれど,肉の苦痛の徹底的無視を彼らがめざしているとすると,いっぽうなぜあのようにいつも洗面器のまわりに怠惰,放恣にしゃがみ込み,雄弁をふるうのであろうか。傷と死に対してのみ政府軍兵士が聖者になるのはなぜだろうか?……(『ベトナム戦記』朝日文庫)

 

 戦後40年を経て,今のベトナムはどうであろか。3日しかないサイゴン滞在,当時現地で取材にあたった方々とは比べものにならないわずかな日数で,どれだけのものを見られるのか。まずは市の中心部へと歩いてみるねことにした。