ベトナムに大きな影響を与えた人物にアレクサンデル=ドゥ=ロード(ローズ)というフランス人がいる。イエズス会の宣教師で17世紀の人物である。
ベトナムにはベトナム文字という民族文字が存在しない。ベトナムは古くから北部は中国の,南部はクメール王朝(カンボジア)の支配下にあった。ベトナムの統一王朝ができたのは11世紀になってからのことで,それでも公式な記録には漢字を用いた。もちろんベトナム人独自の言語は存在したわけであるが,漢字で補えない言葉は漢字を改良する。このベトナム漢字とでもいうべき文字をチュノム(字喃)という。「チュ」は文字,「ノム」はベトナムの「ナム」,まり「南」の意味だが,それに口へんをつけて「喃」(南の言葉)。ちょうど日本の万葉仮名や日本独自の漢字(例えば「畑」は日本にしかない漢字である)を発明したのとよく似ている。
17世紀,今度はフランスからやってきたドゥ=ロードが,ベトナム語をラテン文字で表現しようとする。そして生まれたのが,チュ・クオック・グーである。「クオック」は「国(コク)」,「グー」は「語(ゴ)」,つまり「国語」というわけだ。当初,もちろん布教の道具であったが,19世紀にフランスがベトナムを植民地化するとベトナムの欧化政策の一環として利用される。植民地時代に徐々に浸透したクオック・グーは大戦後,ホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言すると,ベトナム語の表記文字として正式に採用された。
アルファベット(ローマ文字)は表音文字であるから,何となく読めてしまう。読めてしまうが全く意味がわからない。一方漢字は表意文字であるから読めないが,何となく意味がとれる。我々日本人からすると漢字は偉大な発明だと思うのだが,やはりフランス植民地であったインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)の中でベトナムの発展が群を抜いているのは,例えば中東のトルコがそうであったように,その地政学的位置とともにラテン文字の導入が大きかったのではないか。