You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ドイモイ~ベトナム紀行⑭~

 パリ・コミューン広場に面して中央郵便局がある。この建物もまた大聖堂と同時期に建てられたコロニアル建築である。その門構え,内部の天井のアーチや接客窓口などはヨーロッパの駅を思わせる。奥にはホー=チ=ミンの写真(? 肖像画であったか?)が飾られ,郵便局に関連するお土産のブースもある。私は植民地時代の古い紙幣のセットを買うことにした。

郵便局

 パリ・コミューン広場から今度は90度折れ,南西に歩く。見えてくるのは統一会堂,かつてフランス総督が使用したノロドン宮殿があったところである。南ベトナム(ベトナム共和国)時代に現在の現代建築へと生まれかわり,大統領官邸として使用された。1975年4月30日のサイゴン陥落とは,この建物が制圧されたことを意味する。

 統一会堂の西側にはホーチミン人民委員会庁舎(市庁舎)がある。こちらはフランス統治時代のままのコロニアル建築。市庁舎前の広場にホー=チ=ミンの座像がある。一人の少女に寄り添うその姿は,「ホーおじさん」と呼ぶにふさわしいおだやかさを醸し出している。(現在は立像に変わっているらしい)

人民委員会庁舎

 

ホー=チ=ミン像

 

 ホー=チ=ミン像から振り返ってグエン・フエ通りを南東に下る。「グエン」というからには人名であろうが,私は「グエン=フエ」なる人物を記憶していなかった。フエとはベトナム中部のかつての阮朝の都であるが,これとも関係があるのか。(あとで調べたところ,グエン=フエは阮朝の一代前の西山朝の皇帝であるらしい。)

 市庁舎を始点としてサイゴン川まで続くこの広い通りはかつて運河であった。ドンコイ通りとは違って,この通りからはガラス張りの高層ビルが目につく。建設中のビルも多くあり,ビルの間には古い壊れかけた建物がところどころにみえる。その壊れ方は半端ではなく,戦争中のものがそのまま残っているのではないか。新旧建物のコントラストがベトナムの経済発展を思わせる。

 高層ビルを象徴するのが,ビテクスコ・フィナンシャルタワー(Bitexco Financial Tower)。現代のホーチミン市のランドマーク的存在で,頭1つ飛び出たその超高層ビルはどこに居ても役立つ。宿泊しているマジェスティックはこのビルの麓にある。

 なかなかのデザインである。上層部にあるヘリポートが特徴的で,何となくイカを連想させるその姿に私たちはイカタワーなどと呼んで面白がった。あるいはその先端部からガメラに登場するギロンという怪獣を思い出したのは私だけだろうか。とにかく1ブロック向こうのドンコイ通りとは異なる景色,グエン・フエ通りは現代のベトナムを象徴する通りである。

 経済発展とはまた社会主義国に似つかわしくない言葉である。ベトナム経済は1980年代に転機を迎えた。

 「ドイモイ」とは日本語で「刷新」と訳される。1980年代は世界各地の社会主義国の計画経済にひずみが生じてきた時期である。中国では「改革開放」が進められ,「富める者から富め(先富論)」と指導者の鄧小平は言った。ソ連ではゴルバチョフが「ペレストロイカ(改革)」を唱える。共産党一党独裁は崩さないまま,貧しさを分かち合う社会主義経済ではなく,市場経済の導入を模索し始めた。ベトナムでもこれと同じ動きがおこり,それを「ドイモイ」とよんだ。

 これによって1990年代は,ベトナムにとって飛躍の時期となる。海外資本の投資を受け入れ,積極的に対外開放政策をとるようになり,外国資本の企業がベトナムで活動できるようになった。社会主義国であるにもかかわらず,ASEAN(東南アジア諸国連合)への加盟を達成し,工業の発展だけでなく,農業生産も向上する。繊維・衣料を中心にメイド・イン・ベトナムの製品をよくみかけるようになった。

 国民総所得もウナギ登り,中間所得層が人口の50%近くに伸びており,人口の20%近くがハノイ,ホーチミンに集中し,この2つの市だけでGDPの約40%を稼いでいる。

 その一方で貧富の差も広がる。『シクロ』(1995)という映画がある。ドイモイ政策後の現代のベトナムを題材にとった作品である。中国のトニー=レオンが主要人物として登場するが,脇役である。シクロとは二輪の前輪をもつ三輪自転車で,前に荷物や人を乗せて運ぶ。主人公の青年は,このシクロを借りて自転車タクシーで稼いでいる。しかし売り上げの多くは貸し手に持っていかれ,手元に残るのは僅かばかり。自転車乗りに未来を見いだせない若者は,やがて裏の世界に足を踏み入れ,犯罪に手を染めていく。

 登場する男性はみな一様に表情が薄い一方,女性は実に感情豊かに描かれている。青年は両親を亡くし,姉と妹と祖父と一緒に暮らしている。この祖父は街角で自転車のタイヤに手動の空気入れで空気を入れて小銭を稼いでいる。齢もあって体に応えるが,帰宅しても疲れた表情も見せない。泰然自若として紙巻タバコを巻いて一服する。肩を痛めていることは,家族の言動でのみ知ることができる。

 ある日,この家族のもとに体重計が間違って送られてきたが,ひと月も誰も引き取りにこない。青年は祖父に,この体重計を使って商売をするよう勧める。街中で体重を計って,子どもなら5000ドン,大人なら10000ドン(今なら50円程度)。これなら肩を痛めずに済む。

 驚くべきことは,空気入れや体重測定が商売になるということ。そしてお金を出す人がいるということである。犯罪にまつわるシーンは,過激に表現されているかも知れないが,こういった庶民の生活はほぼ事実に近いのであろう。

 物語は青年が堅気に戻り,高級リゾートホテルをバックに再びシクロを漕いで雑多な街中に溶け込んでいくシーンで終わる。シクロの前には姉妹と祖父を乗せている。どこへ向かうのだろう。犯罪者たちが悲劇的結末を迎える一方,青年家族の未来は薔薇色ではないにしても明るいことを感じさせる。映画の公開から10年以上は経過したが,シクロ乗りは街のあらゆる木陰で,今でも客を待っている。大聖堂の前でウェディングドレスフォトを撮影していたカップルもまた,明るい前途を信じて疑わない。