クチの見学を一通り終えたあと,私たちが腰かけていたテーブルにガイドさんがお茶とお茶請けをもってきてくれた。皮を剥いた白い山芋のようなその食べ物はキャッサバであるという。タピオカなどの原料である。生でみたのは初めてで,当然食するのも初めてであった。黒砂糖が横に副えられており,それをつけてかじる。触感はさつまいものようだが,味はほとんど感じない。それゆえ砂糖に味を頼らなければならない。熱帯の国なのでさとうきびもよく獲れるのだろう。まさにローカルフードである。
キャッサバをつまみながら,ガイドさんに「よくこんな施設と設備でアメリカに勝ちましたね。」と話すと,日本語で「アメリカにもカタ(勝った)。フランスにもカタ(勝った)。中国にもカタ(勝った)。モンゴルにもカタ(勝った)。」と軽快に,かつ力強く,1つ1つ指折りながら彼は返した。
そうである。ベトナムの歴史をよく考えてみれば,この国はとてつもなく強い大帝国を相手に戦い,勝利を重ねてきたのである。ひょっとすると史上最強の国であるかもしれない。実ははじめ私は,この国でドルが当たり前のように使用されているのが,可笑しくてしかたなかった。他の発展途上国ならわかるが,ベトナムである。あれほど国民と国土をアメリカによって踏みにじられた国がである。ドルだけではない,コカ・コーラ,ケンタッキー(のちにマクドナルドも進出),そして見世物と化したM16。当然,ドイモイ政策を先頭に国際経済の中でしたたかに生きていく道を選んだこともあろうが,ベトナムにとってそれは敗者の選択ではなく,むしろ勝者の貫禄をこのガイドさんから感じるのである。
帰りのバスの時間まで少し時間があった。おあつらえ向きにハンモックが張られている場所があったので,ガイドさんは「ハンモック休憩にしましょう。」という。「ハンモック休憩?」。当然ツアーの予定に組まれていたプログラムであるはずがなく,また適当な言葉をひねり出したものである。帰りのバスの中,「現在社会主義の国は世界で五つ。中国,北朝鮮,キューバ,ラオスとベトナム」と,例によって自慢気に彼は話していた。彼は座る場所がなかったのでバスの通路に腰かけていた。どこかで拾ったらしき段ボールの切れ端を敷いていた。その一枚の紙に大きな意味があるとは思えなかったが,その話し方の豪快さの一方にある適当さやこだわり方が実に痛快であった。
別れ際,私はその彼に少しチップはずんだのだが,ニッコリと笑って受け取ったその表情が,これまた愉快であった。社会主義にドルのチップとは,猫に小判ほど理論上ありえない。社会主義市場経済なんて小難しい理屈を,この人物から一瞬で学んだ気がした。