You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ネロ指令~ドイツからイタリアへ⑫~

 ルートヴィヒ2世についてはヴィスコンティが監督した『ルートヴィヒ 神々の黄昏』(1972)という映画がある。私が見た当時,VHSのビデオテープで2本組みの大作であった。その長さは約4時間。これといったクライマックスもなく,ただ淡々とルートヴィヒ2世の即位からその死まで,彼が壊れていく姿を描いている。まぁ史実として興味ある人は見てみるのもよい。


 ヴィスコンティの映画は重厚・耽美的などとよくいわれるが,映像美がすぎて(芸術的すぎて)わたしはあまり好みではない。日本版の副題にある「神々の黄昏」とはルートヴィヒが好んだワグナーのオペラの題である。「神々」とは神話の神々・英雄のことであろうが,この時期斜陽(黄昏)にむかっていく貴族たちを暗喩しており,自ら没落貴族の出自をもつヴィスコンティにとっては渾身の作であったにちがいない。
 ヴィスコンティ,ワグナー,三島由紀夫,エトセトラ,エトセトラ。歴史的人物ということ以外には,私のお気に入りには入ってこない人たちである。好きな人は好きなんだろうな。好きな人ごめんなさい。
 さてルートヴィヒと並ぶ筋金入りのワグネリアン(ワグナー趣味)にアドルフ=ヒトラーがいる。ワグナーもまた反ユダヤ思想の持ち主であった。ヒトラーは首相に就任するとワグナー崇拝の象徴たるノイシュヴァンシュタイン城を訪れ,ワグナーの音楽を庇護することを誓った。ヒトラーの狂気もまた狂王ルートヴィヒ2世の呪いがも知れない。「呪い」とはまた中世的である。
 ヒトラーは敗戦前,世界各地で略奪したり,ユダヤ人(ロスチャイルド家のコレクション)から没収した美術工芸品をこのノイシュヴァンシュタイン城に集めている。その他各地に集められた美術工芸品は焼却・破壊されることになっていた。
 連合国がドイツを東西から挟撃しはじめ,敗戦の色が濃くなるにつれて,ヒトラーは連合軍に対して何ものをも残さないために焦土抗戦命令を発した。「ネロ指令」とよばれる作戦である。「ネロ」とは1世紀のローマ皇帝で暴君として知られ,彼が首都ローマを自ら大火で灰燼に帰したという伝説から名づけられた。
 ヒトラーは純ゲルマン的な芸術以外は認めなかった。その著『わが闘争』では特にキュビズムやダダイズムを名指しで精神病的と攻撃している(p368)。万一破壊が免れたとしてドイツの高級将校たちの個人コレクションとなるか,闇で売られて大金に換えられる運命が待っていた。いずれにせよ失われたら2度と世に出ることはなかったはずである。


 一方の連合軍は,美術品を救おうと芸術専門家部隊を結成し,隠し場所を暴き,破壊される前に救出しようという作戦を立てる。「モニュメンツ・マン」と名づけられた特殊部隊の活躍は『ナチ略奪美術品を救え─特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争』(ロバート M エドゼル)というノンフィクション小説に書かれている。のちにジョージ=クルーニー主演・監督で『ミケランジェロ=プロジェクト』(2014)という邦題になって映画化されている。この映画の核をなすのが,ベルギーのブリュージュにあるミケランジェロ作の『聖母子像』であったからであろう。後に私はこの『聖母子像』を生でみる機会を得た。
 この映画の中で芸術の専門家であり,モニュメンツ・マンのリーダーを務めたジョージ=クルーニーの言葉が印象的である。「命より大切な芸術作品はないと思っていたがそれは間違いだった。文化は命の蓄積である。」これは部下を戦死させたときの言葉であった。

 


 フュッセン駅まで戻ってきた。冷えた体を温めるためカフェに入ってコーヒーを飲むことにした。考えてみたらこの日は感動的な朝食以来何も食べていない。かといって昼食にも遅すぎ,夕食にも早すぎたので,ケーキを一切れ注文することにした。
 ドイツ語では英語の「C」で表すカ行の子音は「K」の文字となる。「coffee」は「Kaffee」で「cake」は「Kuchen(クーヘン)」。(さらに名詞の最初の文字は大文字)この「K」の強さと「C」の弱さがドイツに来てドイツを感じるもっともエキゾティシズムなところではないかと思った。(しかしながらカフェはドイツでも最近ではCaféを使用し,先頭の文字は「C」。これはフランス語からの外来語として使っている。)
 ずっしりとした白いコーヒーカップに並々と注がれたコーヒーに日本では二人前は優にありそうな巨大なチョコレートケーキが出てきた。若かったのだろう,その量に怯むことなく平らげた。翌日喰らうのは,「Kuchen(クーヘン)」ならぬ「Munchen(ミュンヘン)」である。