ブフスを出発した列車はまもなくザルガンス(Sargans)に着く。ここで降りる。ローカル線に乗り換えて10分もしないうちにマイエンフェルト(Maienfeld)という小さな町,というより村に到着する。ここがこの日の本当の目的地であった。下車する人は他になく,周囲を見渡してもいくつかの家があるだけで人の気配はなかった。ただ,絶景なるかなアルプスの山々。ここはハイジの村である。われわれの世代ならだれもが子どものころテレビで見ていた『アルプスの少女』はこの村を舞台にしている。テレビアニメの風景が実物となって今目の前に広がっているのである。
駅にはハイジにちなんだハイキングルートが描かれた地図が置かれていた。ルートは2つあり,駅から約150m登る短いルートと標高1200mまで約700mを登る長いルートであった。地図によると短いルートは1時間半,普通の靴で十分だとある。長いルートの方は4時間半,ハイキングシューズが必要だとのこと。もう時刻は午後3時前,時間も時間であったので短いルートを選択した。
短いルートだとはいえ,十分見晴らしもよく絶景を堪能できたが,アニメのハイジの住む小屋の雰囲気を味わうには山頂近くまでのぼらねば物足りなかったかもしれない。途中オーバーロッフェルという場所があり,ここにハイジが住んでいたとされる小屋がある。おそらくヨハンナ=シュピリの原作で描かれた小屋を再現したものだろう。私の知っている「おんじの小屋」ではなかったのが少し残念である。
これ以上登ると時間的も体力的にもきついのであきらめることにしたが,もう少し登れば本物のヤギ飼いペーターぐらいは見られたかもしれない。アルプスでは移牧という牧畜がおこなわれている。夏場は涼しい山腹の牧草で放牧する。この牧草やその牧草地をアルプといい,アルプスの語源である。冬になると家畜を麓まで降ろす。ペーターも学校に通うのは冬の間だけだった。
今はどうなっているのだろう?観光客もどっと押し寄せているのだろうか?私が訪れたころ,何よりも心地よかったマイエンフェルトのよさは,列車が通り過ぎたあと,ほとんど人工の音というのが聞こえなかったことであった。舗装された道路もあったが走っている車など一度も見かけなかった。次に聞こえた人間の音は,2時間に一本(当時)にホームに入るザルガンス行きの列車の汽笛であった。
ハイジの村の軽いハイキングを終え,何とか夕方の一本に間に合った。ザルガンスに戻りチューリッヒ行きの急行に乗る。ザルガンスからチューリッヒまでは1時間ほどであった。チューリッヒに着いたのは夜の7時。ミュンヘンからまっすぐチューリッヒに向かったら4時間ほどで着くところ,回り道をして12時間。ユーレイルパスの元はすでに十分とった気がしていた。