You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

4つの言語~ドイツからイタリアへ⑱~

 スイス観光の拠点となる宿を探す。次の日もその次の日も鉄道を利用するので,宿は中央駅に近いところで探す。チューリッヒ中央駅から延びる路面電車の線路沿いに歩いた。縦横に伸びた路面電車に電気を供給する電線が両サイドの建物からの蜘蛛の巣をはったように伸びている。
 宿はほどなく決まった。うろ覚えであるが,近くにクレディ・スイス(銀行)の本社ビルがあったように思う。写真をとった筈だが,どうも見当たらない。よく覚えているのは1階のレストランのウェイトレスのお姉さんであった。食事に来る観光客に対して,次々と違う言語で対応しているのである。ドイツ語,フランス語,イタリア語,そして私には英語で。「スイスに来たのだ。」ということを今度は頭の中で理解した。
 スイスにはスイス語は存在しない。公用語は4つあり,ドイツ語,フランス語,イタリア語,そしてロマンシュ語である。ロマンシュ語はラテン語系の言語でイタリア語に近く,単語や発音などはフランス語・ドイツ語の影響を受けているらしい。スイスでは時々,発音はできそうだが意味がまったくとれない標識や看板に出くわすことがある,ロマンシュ語とみて間違いない。ただ話者は人口の0.5%にすぎず,一部の地域でしか使用されていないため,耳にすることはなかった。
 レストランのお姉さんがロマンシュ語を話せるかどうかはわからないが,国内に4つの言語を抱えている上,観光立国でもあり,ジュネーブやチューリッヒなどの国際都市があるスイスで,サービス業に携わる人にとってバイリンガルはもちろんトリリンガルぐらいは当然のことなんだろう。彼女は挨拶,席への誘導,メニューの説明,オーダーの取り方,どの言語でも流暢に応対し,その切り替えの早さはまるでテレビのチャンネルを替えるようであった。
 4世紀,ゲルマン民族の移動が活発になると,5世紀には西ローマ帝国は崩壊,その混乱の隙をついてブルグンド,アレマン,ランゴバルド(ロンバルド)といったゲルマン諸部族が現在のスイスに定住するようになった。ブルグンド族はスイスの西部ジュネーブやローザンヌを含むフランス南西部にブルグンド王国を建国し,アレマン族はドイツから南下してスイス北部と東部にその勢力を拡大する。フランス語でドイツをアルマーニュ(Allmagne)というのはこのアレマン人からきている。ランゴバルド族もまたスイス南部から北イタリアにかけて彼らの国を建国する。
 やがてフランク王国が台頭すると,いずれの部族・王国もフランクの支配下に入り,フランク王国は西ローマ帝国の版図を取り戻した。8世紀末カール大帝の下,全盛を迎えるが,9世紀にはヴェルダン条約とメルセン条約の2度にわたって王国は3分割された。メルセン条約の結果,西フランク・東フランクそしてイタリアの3王国が独立した。それぞれフランス・ドイツ・イタリアの原型である。そして3つの国の国境が交わるところに,のちのスイスが建国された。メルセン条約の境界線がスイスの言語境界線となり,フランスに編入されたブルグンドはフランス語を,ドイツのアレマンはドイツ語を,イタリアのランゴバルドはイタリア語を話すようになったわけである。