You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

バーゼルであれこれ~ドイツからイタリアへ⑳~

ホルバイン追記

 イエスを神性から解き放ち,「神は存在するか」を問いかけた日本の作家もいる。遠藤周作である。「白痴」のホルバインを見に来て,遠藤の『沈黙』を思い出した。物語のクライマックス,日本に潜伏していたポルトガル人司祭ロドリゴの絵踏みのシーンがある。イエスがロドリゴに語りかけたように遠藤はこう書いている。

踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため,この世に生まれ,お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。

ホルバインと遠藤のイエスが重なったような気がした。

 

ドライレンダーエック
 バーゼル美術館を出て,ライン川を渡り,そのまま川を左手に見ながら歩き続ける。ライン川もこの辺りになるとかなりの上流のはずだが,川幅はまだ200mほどはある。こんな内陸でひっきりなしに貨物船が行き来するのも日本ではあまり見られない光景である。「スイス・バーゼル港」といってもよい。
 川沿いの道を小一時間歩くと突き当りらしきところが見えてくる。この辺りが三国国境に当たる。実際に国境が交わるのは河川上ということになるが,現在はドライレンダーエックとよばれるポールが建てられているようだ。3つの国の国境地点に立つなどめったにないことだから来てみたが,国境に立っている実感などまったくなく,もちろんここには検問所もなく,パスポートも必要ない。がんばって歩いてきたわりには少々がっかりであった。

 

当時ヨーロッパでは当たり前でした
 帰りは歩き疲れたのでタクシーを拾うことにした。実はこのとき三国国境よりも「おっ」とする発見があったのだ。手を挙げて捕まえたタクシーの運転手はしっかりとした体つきの女性,おばさんだった。今でこそ日本でもたまに女性ドライバーをみかけることはあるが,実際に当たったことはないレアタクシーである。それがたまたまスイスを訪れた異国の観光客がたまたま拾ったタクシーの運転手が女性とは,30年以上前の当時驚かずにはおれなかった。職業に貴賎なし職業に性別なし,ヨーロッパ文化の先進性に凄みを感じた。一年後,私はフランスのヴェルダン行きのローカル線で女性車掌に出会うのだが,このときも改めて同じことを感心するのである。

 

国境の駅

 そのおばさんドライバーに行先を告げる。ここで注意しなければならないことがあった。「バーゼル駅」ではダメなのだ。「ハウプト・バンホフ」とはっきり告げる必要がある。「ハウプト」は「中央」,「バンホフ」は「駅」で合わせて「中央駅」である。「ハウプト・バンホフ」私が告げると,おばさんドライバーは一度うなずいて,それを確認するように「ハウプト・バンホフ」と私にゆっくりとそしてはっきりと復唱した。
 バーゼル中央駅が中央駅である所以は,バーゼルには5つの鉄道駅があるからだ。そのうち二つの駅は観光客にはあまり縁がない地元の駅である。中央駅はスイス国鉄の駅である同時にフランス国鉄の駅(フランス駅)としての顔もある。スイスからフランスに向かう国際列車はここで機関車をフランス国鉄(SNCF)のものに連結し,乗客はパスポートを見せた。一方ドイツからスイスに入ってくる列車は町の北にあるバディッシャー駅を経由して中央駅に入る。バディッシャー駅でパスポートの検査を受ける。今はスイスもシェンゲン協定に加盟しているため,このような面倒な儀式はなくなったが,パスポートを見せるある種のドキドキ感が旅情の1つではないか?