ルツェルンはチューリッヒから鉄道で1時間ほどのところにある。日帰りで行ける。ルツェルンにはルツェルン湖がある。このルツェルン湖の周辺から現在のスイスが始まった。スイス発祥の地といってよい。14世紀,ルツェルン湖を取り巻く,ウーリ,シュヴィーツ,ウンターヴァルデンの三州が同盟を結び,ハプスブルク家の支配と圧政から独立を勝ち取った。
ハプスブルク家といえば,ウィーンに居をかまえるオーストリアの一族いうイメージがあるが,もとはといえばスイスの一封建領主にすぎなかった。13世紀にルドルフ1世がハプスブルク家初の神聖ローマ皇帝に推戴(世界史でいう大空位時代の終焉)されると,帝国南東部つまり現在のオーストリアにも勢力を広げていく。
こういった中でハプスブルク家によってスイスに派遣された代官の一人がヘルマン=ゲスラー。悪代官の代名詞のような人物で,スイスの英雄ヴィルヘルム=テルの敵役として知られる。ただし両者はともに実在の人物ではない。
テルがゲスラーの命で息子の頭の上の林檎を射抜いた伝説は,ルツェルン湖に臨むアルトドロフの村広場のことだったという。テルは林檎を見事に射たあと,二本目の矢を用意していた。その矢でゲスラーを射殺すつもりであった。ゲスラーはテルを捕らえて処罰しようとしたが逃げられる。逃亡に成功したテルは逆にゲスラーを待ち伏せ,射殺したというお話である。この話は19世紀はじめ,シラーが戯曲としてまとめあげて有名になった。
テルのこの話には原型がある。アルプスのはるか向こうのデンマーク。息子の頭の上の林檎を射たのはコトという人物。敵役はデンマーク王ハーラル。このハーラルは「青歯王」という呼び名が有名で,現在は「bluetooth」の言葉の由来となっている。当時争っていたデンマークとノルウェーを平和的に結び付けたという一面もあった。
ともあれスイス人はテルとこの話が実話であると信じている。スイスではテルの反乱が独立運動の口火を切ったという。アルトドルフのあったウーリ,そしてシュヴィーツ,ウンターヴァルデンの三州は同盟を結成し,ハプスブルクの軍を打ち破る。これは史実で,この後ハプスブルク家はスイスの領土を失い,それとともにオーストリアでの勢力を拡大することになった。そしてこの三州が現在のスイスの原型となった。「スイス:Switzerland」の名はこのうち「シュヴィーツ:Schwyz 」に由来する。