You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

血の輸出~ドイツからイタリアへ㉓~

 スイス兵の強さと勇敢さは古代からよく知られていた。カエサルの8年間に及ぶガリア遠征はヘルウェティ族が最初の要因であった。ヘルウェティ族とはスイスの先住民である。

ヘルウェティ族も他のガリー人にくらべれば武勇がすぐれ,毎日のようにゲルマニー人と争い,自分の領地で敵を防いだり,敵の領地に入って戦ったりしている。」(『ガリア戦記』第一巻冒頭(岩波文庫)

 

 原初三州がハプスブルク家を破って以来,スイス兵の優秀さがヨーロッパに響き渡り,以後傭兵として各地で活躍をみせる。シラーの『ヴィルヘルム=テル』ではテルは人を殺したことのない猟師ということになっているが,テルもスイス傭兵をモデルとして成立したのだろう。国土が山がちなため足腰の強靭な男たちが育つ。スイス男はたくましい男の代名詞となる。余談になるが私が子どものころ,丸大ハンバーグのCМに「ハイリハイリフレハイリホー」という意味不明の歌にのせて,大男が子どもに「おおきくなれよ」と語りかけるのがあった。確かあのCМもスイスのアルプスっぽい風景であった。

 一方で山がちであるということは耕地が少ないということでもある。肉は足りるが穀物には不足するといったことがおきる。したかなしに他所から仕入れるわけだが,買うには銭がいる。そこでたくましく育った男たちが手っ取り早く稼ぐ場所として,戦争があった。ここで面白いのはスイスの場合,傭兵稼業は個人や民間企業ではなく,各州政府が運営していたことである。州政府が他国の政府と契約を交わすのである。テルと同時期の伝説的弓の名手にイングランドのロビンフッドがいる。悪政に立ち向かったという共通点はあるが,人物の背景にある事情は随分異なる。

 スイス傭兵稼業は「血の輸出」とよばれ,時計が発展する以前は,スイスの一大産業であった。そして戦争によって得られた情報・人脈・資金は商業・金融の発展につながった。徹底したプライバシー保護で有名なスイス銀行はスイス傭兵の資金管理からおこったともいわれている。

 21世紀の今,外国人傭兵を雇う国はフランスを除けばほとんどないが,スイス人を専門に雇う国が一つある。バチカン市国である。バチカンのスイス傭兵は国とローマ教皇を守護する衛兵であり,16世紀にはじまり現在でもその伝統が受け継がれている。

 ルツェルン駅からウーリのアルトドルフまではローカル線とバスを乗り継いでいく。ローカル線は一時間に一本のペースであるのだが,少し時間があるので駅前周辺を軽く散策する。当時のユーレイルパスではここで自転車を無料でレンタルできる特典でついていた。(今はどうだろう?)自転車を借りて駅から北に向かい,ルツェルン湖に注ぐロイス川を渡る。橋から左手にカベル橋が見える。ヨーロッパで最も古い木造橋らしい。1333年というから,日本では鎌倉幕府が滅亡した年にあたる。わたしがここを訪れたのが1993年,660年前ということになる。しかしこの年の夏,タバコの不始末が原因でカベル橋は残念ながら焼失してしまったらしい。今架かっているのは再建されたものである。

 橋を渡って大通りを北に進むと氷河公園(Glacier Garden)という公園がある。この公園の一角に「瀕死のライオン像」という石碑がある。背中に矢が刺さった瀕死のライオンはスイス傭兵を,ライオンがかばっている盾はフランス王ルイ16世とその家族であるという。フランス革命時にテュイルリー宮を警護していたスイス傭兵が革命軍と民衆から王家を守って散っていった悲劇の記念碑。ルイ16世紀の后,マリーアントワネットは確かハプスブルク家出身であったはずである。歴史の皮肉である。

 再びルツェルン駅に戻り,ローカル線でフリューレン(Flüelen)というルツェルン湖南西に位置する町までいく,そこからアルトドルフまではバスで10分ほど。村といってもよい規模の町の広場にヴィルヘルム=テルとその子ヴァルターの像が建っている。たっぷり髭を蓄えたしっかりとした体つきに太い腕と脚。その父に寄り添う息子が父を見上げている。この像を見たとき,ふとハイジとおじいさんを思い出した。もちろんハイジは女の子なのだが,この像の男の子はスカートのようなものをはいていたから余計に二人が重なったのである。「そういえばハイジのおじいさんもかつて傭兵だったよなぁ。」美しいスイスの影には血なまぐさい傭兵がいた。

 ルツェルン駅に再び戻る。小腹がすいたので,駅前の出店でソーセージを食べる。白いソーセージであった。絶品だった。自分史上もっともうまかったのは,このときのソーセージである。未だにこれを超えるソーセージには出会っていない。