いよいよイタリアに向かう。この日の目標はミラノ。チューリッヒからミラノまでは列車で約4時間。アルプスを越えていくのだから,ゆったりとしたスピードで風景を楽しめる。2等自由のユーレイルパスをもっているので実際に料金がいくらかはわからない。ただミラノに向かう列車に飛び込めばよかった。
アルプスの風景を満喫しながら約3時間,イタリアとの国境キアッソ(Chiasso)に着く。駅名はもうイタリア語名である。ここから機関車をイタリア国鉄に換えて,列車はイタリア側の国境駅コモ(Como)に移動する。そして早速このコモ駅で思いもかけぬイタリアの洗礼を受けることになるのである。
まずコモで乗客は全員列車から降りるようにいわれる。何事だろうか?英語が分かりそうな人を探して声をかけてみる。そしてわかったことはこうだ。「ストライキ」・「いつ運行再開するかはわからない」らしい。大なり小なり,イタリアでは公共交通機関のストライキは日常茶飯事。イタリアの名物らしい。それもあってイタリアでは定刻通り列車が運行することはめったにない。いやむしろ日本やドイツのように定時到着・定時出発の国が珍しい。特にイタリアを鉄道旅行しようという方は気をつけられたい。
問題はいつストが解除されるかだ。その日一日だというのならまだあきらめもつく。「いつになるのかわからない」は逆にすぐにでも動き出すということでもある。ふらっと駅を離れるわけにもいかない。周りの旅行客は旅慣れているのか,さほど心配している様子もなくホームでおしゃべりしている。
ホームでボーッとすること約2時間,ミラノ行きの列車が出発するアナウンスが入った。案外早かった。午後4時すぎ。ミラノまでは1時間ほど。「今日中にミラノにいける」だけでも心からほっとするのであった。しかーしである。列車に乗り込む周囲をよくみると,どう考えても私と一緒に降りた人より多くの人が乗り込んでいるではないか。それはそうであることに気が付かなかった。ストでこの駅に留め置かれたのは何もわたしが乗ってきた列車の乗客だけではなかったのである。これはいけない。早く席に着かなければ。
幸い空のコンパートメントをみつけて窓際の席を確保はできたのだが,ここでまた第二のイタリアの洗礼を受けることになってしまった。イタリア人の若いバックパッカーが6人,わたしの座っていたコンパートメントに乗り込んできたのだ。二等車のコンパートメントは6人掛けである。そこに無理やり7人。イタリア人6名,日本人1名。さらに7つのバックパックが置かれる。身動きとれる隙間など微塵もなかった。
彼らはこの状況を全く苦にもしていない様子である。ただただ陽気に止まることのないおしゃべりに興じ,ときには体を揺らして歌まで歌いだす。彼らにはたった一人の異国の旅行者などまったく眼中になかった。「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか。)」イエスの最後の言葉を唱えたくなるような狂乱の1時間が過ぎていった。
午後5時,ミラノ中央駅でわたしは解放された。が,ほっとしたのも束の間,さっそくやらねばならないことが二つある。両替と宿探しである。手元に残ったドイツマルクとスイスフランをイタリアリラに換えてしまわなければならない。ユーロが使われる前のヨーロッパでは当然各国は独自の通貨を使用していた。スイスフランはいまでも健在だが,スイスでドイツマルクを両替してそれをさらにイタリアで両替するとなると二重に手数料を取られてしまう。そのため残ったドイツマルクはそのままイタリアまで持ち越した。今ではユーロがあればそんな手間暇をかけずに済むが,国ごとで紙幣を交換するのも古き良き時代の旅情の1つであった。
イタリアリラはこれまでとは違って急に桁が大きくなる。100リラが10円弱。つまり100円ぐらいのものを買うには1000リラ札を出さねばならない。1万円では10万リラ札である。財布の中に大金を入れているような罪悪感,スリが多いこの国をこれから旅する恐怖感,ちょっとしたものを買うにもしり込みしてしまいそうな劣等感,イタリアはいつまでもわたしに解放感を味あわせてくれそうにない。
そんな気持ちのまま駅の近くの安宿をあたることにしようと駅を出た瞬間である。もう待っていたかのように黒い制服・黒い帽子の警官がわたしを呼び止めた。浅黒い肌の細身のその警官は,スティックキャンディを咥えている。まぁ日本ではありえなく,それだけに怪しすぎる。パスポートを見せるようにいわれ,トラブルも困るのでいわれるままに取り出す。ホテルを探しているというと,「この辺あぶなぁーい。こっちこっち」と何と日本語でどこかへ連れて行こうとする。「お前がもう危なそうやん」と思いながら,ついていくと,なんと駅のすぐ目の前の宿を紹介してくれたのである。「ここあんぜん」。警官がホテルの客引きしているなんて話は聞いたこともないが,立地といい,値段といい,申し分なかったので今夜の宿はここに決めた。決めたというか余りにも断りにくい状況であったことは確かである。あくまでも結果オーライであるが,これがこの日の三回目のぶっとんだイタリアの洗礼であった。「アルプスを越えた瞬間にこの変わりよう。」面白いと感心している場合ではなく,気を抜いたらいつかえらい目に遭うような気がしてならなかった。