You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

『ひまわり』~ドイツからイタリアへ㉕~

 ミラノである。世界的な観光都市である。ファッションの最先端をいく都市である。何事か観光ガイド的な紹介を期待するかも知れない。私にとってこの都市は通過点の1つに過ぎなかった。何しろ今では誰しも足を運ぶサンタ=マリア=デッレ=グラツィエ修道院に飾られているダ=ヴィンチの『最後の晩餐』は,当時大規模な修復作業中でみることができなかったし,スカラ座や高級ブランドなどまさに豚に真珠である。

 わたしが唯一この街で目にしたかったのは,通過点であるミラノ中央駅そのものであった。ヨーロッパの大都市のターミナル駅にはトレインシェッドとよばれるホームを覆う鉄骨の丸屋根があるが,ミラノ駅も例外にもれず,壮大な鉄とガラスのトレインシェッドで覆われていた。その巨大さ重厚感,曲線美,「世界で最も美しい駅舎」とよばれただけのことはある。

 が何よりわたしは,この駅のプラットフォームにただ立ってみたかった。イタリア映画(フランス・ソ連との合作)『ひまわり』(1970)の中で度々登場する舞台なのである。イタリアを代表する名優ソフィア=ローレンとマルチェロ=マストロヤンニ共演の映画である。

 第二次世界大戦によってジョバンナ(ソフィア)とアントニオ(マルチェロ)の幸せな夫婦生活が引き裂かれる。アントニオはソ連に出征。ジョバンナは彼の無事の帰りを待つが,音信不通となる。戦後,ジョバンナはアントニオの消息を求め,ソ連(ウクライナ)に赴くが,そこには当地で新たな家族と暮らすアントニオの姿が。アントニオは戦地で行き倒れとなり,しばらくの間名前も思い出せないくらい記憶を失っていた。やがて心身の健康を取り戻すも,当時の国際情勢からイタリアに戻ることもできず,その地に留まらざるを得なかったアントニオ。そこにアントニオの消息を突き止めたジョバンナが訪ねてくるが,ジョバンナはショックのあまり,言葉も交わさず去っていく。

 やがて時は過ぎて,ようやくアントニオは国の許可を得て,ミラノのジョバンナを訪ねていく。アントニオはソ連の家族を捨ててジョバンナのもとに戻るつもりでいたに違いない。しかし時は再びそれを許さなかった。ジョバンナも前に進もうとしていたのである。ジョバンナの部屋を訪れたアントニオは,小さな子どもが眠っているのをみる。ジョバンナとアントニオはもう決してもとに戻れないことを涙ながらに決意し,断腸の思いで三たび別れることを選ぶ。

 戦争が愛し合う二人を引き裂き,お互いの消息が分からぬまま,やがて共に新しい家庭築いた二人が再会する。二人は未だに惹かれ合いながら,時は戻せない。ただお互いの幸福を願うだけである。このような構図は,物語の定番なのかも知れない。フランス映画『シェルブールの雨傘』(1964)もそうだった。『シェルブールの雨傘』がミュージカル仕立てで,全セリフにメロディーがついているということのほかに,ラストの二人の邂逅シーンが対照的である。『シェルブールの雨傘』の二人は偶然の再会であった。二人が交わす言葉は少なく,気まずさにあふれている。主人公ギイの息子の名前はフランソワ,ヒロイン:ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ=ドヌーヴ)の娘の名はフランソワーズ。それはかつての二人の子どもに名付けると約束した名であった。ラストは降りしきる雪の中,暖かい家族と笑顔で過ごすギイの姿が窓越しに映し出される。

 一方,『ひまわり』のラストは情熱的である。アントニオは戦場に発つ前,土産にと約束していた毛皮をもってイタリアに向かう。アントニオはジョバンナとやり直すつもりでいたのだ。ミラノに到着したアントニオはジョバンナに「会いたい」と電話する。ジョバンナは拒否せず家に受け入れる。アントニオを待つ間のジョバンナのシーンが最高に切ない。鏡に向かって髪を整え化粧をほどこす。耳には昔プレゼントされたイヤリング。今も昔のように綺麗な自分なのか?

 ジョバンナの部屋で再会したアントニオは別室で赤ん坊が泣く声を聴く。赤ん坊の名前がアントニオであることを告げるジョバンナ。互いの白髪や顔の皴を触れ合い確認するが,時間は取り戻せない。二人とも別の場所でやり直すには,重すぎる本当の時間を背負っているのだ。二人は修正ではなく,進む覚悟をする。翌朝ジョバンナはアントニオを駅で見送る。遠ざかる列車を涙ながらに見送り,立ち尽くすジョバンナであった。

 『シェルブールの雨傘』は笑顔で,『ひまわり』は涙でラストを迎えるが,いずれもハッピーエンドであるはずだ。そしてハッピーエンドというものを胸が切り裂けそうな切なさとともに締めくくった見事な作品であった。このあたりは衝撃的な出来事によって主人公とヒロインだけが最後に痛快なハッピーエンドを迎えるアメリカ映画とは異なる。ストーリーは全く異なるがオードリ=ヘップバーンの『昼下がりの情事』では,ヘップバーンがパリのリヨン駅で結ばれぬ運命の恋人を見送るが,結局二人は同じ汽車に乗って旅立っていく。『昼下がりの情事』は洒落た映画であったが,私はこのラストシーンには不満が残る。

 

 さて映画『ひまわり』の中でため息をつくほど魅了されるシーンがスクリーン一面のひまわり畑である。ウクライナで撮影されたらしい。この作品は是非大画面,リバイバル上映の機会があれば大スクリーンで見てほしい。この映像と『ひまわり』というタイトルからもこの映画の結末が悲劇ではないことがわかる。ウクライナのひまわり畑を見ることは,私の将来の旅の目的地の1つに入っている。

 そしてもう一つ,この映画でジョバンナが度々訪れたのがミラノ駅。アントニオの出征を見送るとき,夫の消息を訪ねる旅にでるとき,そしてアントニオとの最後の別れ。あのミラノ駅のホーム,映画の一場面に入ることがミラノに立ち寄った最大,そして唯一の目的であった。