You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ガリレオの街~ドイツからイタリアへ㉗~

 ピサはウェルギリウスの『アエネイス』にも「都市」として登場(第10巻179行)している。それが本当だとしたら4つの海洋国家の中ではもっとも歴史が古い。少なくともウェルギリウスが生きた紀元前1世紀には都市として栄えていたということだ。ただヴェネチア・ジェノヴァ・アマルフィの3都市は今でも海のイメージが付きまとうのに対し,ピサが海洋国家だったという点については,イメージしにくいかも知れない。現在のピサは海岸線から少し離れているところに位置している。

 

 ピサ中央駅には昼過ぎに着いた。降り立ってみても潮の香はおろか,港町を連想させる何事もない。斜塔があるピサ大聖堂へは中央駅から北に向かう。川にぶつかったら,これがアルノ川である。アルノ川の現在の河口はここから15㎞ほど下ったところにある。ピサが海洋国家であったころ,海岸線はもっと内陸側にあり,中型船なら川を少し遡るだけでよかった。アルノ川の堆積作用によって海岸線が徐々に後退,同時に川底も浅くなっていく。海との行き来が困難になっていくにしたがって,ピサは海洋国家としての地位を失っていく。

 ピサ生まれの有名人にガリレオ=ガリレイがいることはよく知られている。斜塔での落下実験や大聖堂の振り子実験などをおこなったことエピソードは有名だ。しかしガリレオの活動した16世紀末から17世紀初めには,すでにピサはトスカナ大公国の一都市となっていた。ガリレオの天文学の研究をまとめた『星界の報告』(岩波文庫)は「第四代トスカナ大公メディチ家のコジモ二世殿下に」というタイトルで,彼自身が発見した木星の4つの衛星を「メディチ家の星」と名付けるところから始まっている。メディチ家とはあのメディチ家。トスカナ大公国とはフィレンツェ共和国を母体として君主国へと発展し,衰えたピサはフィレンツェに征服されたのである。

 ちなみにこの序文の中に本文を待たずガリレオの有名な学説をみることができる。「…それは,たがいにことなる運動をしながら,もっとも高貴な星であるユピテルのまわりを,驚くべき速さで進行し回転しています。あたかもユピテルの御子のようにうちつれて,十二年の歳月で,世界の中心,すなわち,太陽の周りをいっしょに大きく回転しています。…」地動説である。

 地動説はガリレオの半世紀前のポーランドで,コペルニクスが主張した学説である。しかし当時の教会がこれを受け入れるはずもなく,イタリアのドミニコ会修道士:ジョルダーノ=ブルーノはコペルニクスの地動説を擁護したため,異端審問にかけられ,処刑(火刑)された。ガリレオが『星界の報告』を出したのは,それからまもなくのことで,ガリレオ自身も2度も異端審問にかけられることになる。

 一度目は地動説を捨てるように警告を受けたが,ガリレオは『天文対話』を出版する。これも岩波文庫で日本語訳があり,あくまでも地動説を仮説とし,天動説を仮説とする人物との対話形式で天動説の綻びをやんわりと明らかにする。二度目の裁判は最初の警告を無視したため,今度は生死の選択をせまられた。ガリレオはブルーノの轍を踏まないためにも学説を撤回して信仰を選んだが,のちに「それでも地球は回っている」といったとか,いわなかったとか。

 言わなかったとしてもはっきりしているのは,晩年盲目になっても科学への情熱を捨てなかったことである。『新科学対話』を弟子に口述筆記させて発刊。アリストテレス哲学を妄信的に信奉する哲学者と実験によって仮説を証明しようとする科学者との対話。ここに一般市民が介入して論点を明らかにしていく。三人の対話は実験によって仮説を確かめる科学的方法論がいかに優れているかを浮き彫りにしていく。この本は次の時代の科学者たち(例えばニュートンなど)の必読書となっていった。ガリレオを語るなら,いや科学を目指すならやったかやっていないかわからない実験の話や言葉ではなく,彼の言葉を直接読むべきである。