フィレンツェを「続・地名語源辞典」(校倉書房)を広げてみると
英語ではFlorenceという。ラテン名はFlorentiaで「花のような,豪華な」の意
とある。ローマ神話の女神フローラが由来で,フローラは花の女神。「花の都」と形容される街は古今東西あまた存在するが,フィレンツェは名前自体が「花」なのである。
フィレンツェは14世紀ごろからルネサンスとよばれる文芸復興がいち早く栄えた街として歴史上知られている。したがってフィレンツェを観光するということはルネサンスを見るということである。レオナルド=ダ=ヴィンチ,ボッティチェリ,ミケランジェロ,西洋芸術家オールスターズの錚々たる作品を一日で鑑賞するにはあまりに荷が勝ちすぎる。さてどれだけみて回れるか。
フィレンツェすなわちルネサンスの以前に,フィレンツェすなわちメディチ家であったことを忘れてはいけない。メディチ家なくしてルネサンスは始まったかもしれないが,メディチ家なくしてルネサンスは栄えなかった。そのフィレンツェの歴史は,16世紀初めの官僚であり文人ニコロ=マキャヴェリの著作に詳しい。マキャヴェリは15世紀末までのフィレンツェの歴史を,政府に依頼されて『フィレンツェ史』に著した。
フィレンツェは12世紀ごろまで,神聖ローマ帝国の支配下にあった。12世紀,バルバロッサ(赤髭王)の異名で知られる神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世は帝権伸長のためイタリア半島に進出,北イタリアの都市同盟(ロンバルディア同盟)がこれを撃破し,イタリアの諸都市は帝国から大幅な自治を獲得することになった。フィレンツェもこのころ,共和国として自立していく。