You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

フィレンツェ~ドイツからイタリアへ㉚~

 当時私は大学で美学を専攻していた。美学史の中でもルネサンスは花形で,「ルネサンス」という語を定義づけた人物としてスイスのヤーコプ=ブルクハルトという人物が授業でよく紹介された。その著書「イタリア・ルネサンス文化」は手に入れやすく,必読書でもあった。マキャヴェリとともに私のフィレンツェ観光の手引書となったブルクハルトは,このころの共和国の代表例として「イタリア・ルネサンスの文化」(中央公論)の中でこのようにいっている。

みずからの独立性を保持した都市のうち,二つの都市は人類の歴史全体にとって最高の意義をもっている。たえまない動乱の都市フィレンツェ,…《中略》…つぎに,外見上の静止と政治的な沈黙の都市,ヴェネチア。それは考えうるもっとも強烈な対照であり,その両都市は地上の何ものにも比しがたい都市である。

 ヴェネチアとフィレンツェは同じ共和国でもまったく対照的な道を歩んでいる。ヴェネチアは成立から1000年もの間,共和政を維持した国であるが,その実は少数の貴族による寡頭政体で,独裁を徹底的に排除し,個人の力量によって政治体制がかわることがないように政治システムを作り上げた。大きなクーデターも1000年の間に2度経験しただけである。その都市の外観だけでなく,内側をとってみてもブルクハルトのいうように「地上の何ものにも比しがたい都市」である。

 マキャヴェリの「フィレンツェ史」においても,ヴェネチアに関する記述にほとんど個人名というものが登場しないことに気づく。「どこどこのだれだれ」ではなく,単に「ヴェネチア人」・「ヴェネチア市民」となっているのである。

 一方,フィレンツェはどうだろうか。フィレンツェは同じ共和国でも僭主政治であった。そのときどきの実力者が共和国の指導者として民衆を導いていく政体である。つまり実力がなければ追い出され,そして実力あるものが地位を奪う。それは合法・非合法に関わらず,常に内部で激しい抗争を展開していたのがフィレンツェであった。マキャヴェリの「フィレンツェ史」も13世紀からそのほとんどが内部抗争の記述となっており,その目まぐるしく登場する人物と党派に読む方は振り回され,歴史の本筋を見失いそうになる。

 ところがブルクハルトはこのことがフィレンツェでルネサンスが開花した要因だというのである。(正確にいうとブルクハルトは「フィレンツェ」とはいっていない。「イタリア」・「イタリア人」といっている。)

中世においては,…人間は自己を種族,国民,党派,団体,家族として,あるいはそのほかの何らかの一般的なものの形でだけ,認識していた。 イタリアではじめてこのヴェールが風の中に吹き払われる。国家および一般にこの世のあらゆる事物の客観的な考察と処理が目ざめる。さらにそれとならんで主観的なものも力いっぱいに立ちあがる。人間が精神的な個人となり,自己を個人として認識する。

そして

これらの共和国の都市においては,事物はまったくちがったあり方で,個性的性格の形成に有利であった。政権をとる党派がひんぱんに交替すればするほど,個々人は政権の行使と享受にさいして,それだけ強く心を引きしめる機会を与えられた。

続けて

フィレンツェの歴史に政治家や民衆指導者は,当時のよその世界では例外的にもほとんどみられなかったような,著しい個人的な存在を獲得する。

とし,ダンテをその時代のもっとも国民的な先駆者だと述べている。このブルクハルトの著作の中で,常に先駆的に扱われている存在がダンテであった。「個性の充溢(じゅういつ=満ち溢れている)」とブルクハルトは表現している。