You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ウフィツィ~ドイツからイタリアへ㊲~

ロッサ通りを東に進むとシニョーリア広場が見えてくる。フィレンツェ観光のもう一つの中心地ヴェッキオ宮殿が建つ。何度もいうようであるが,日本人がイメージする宮殿ではない。故に邸宅と訳してきたが,ヴェッキオ宮殿は市庁舎という方がふさわしい。ここはフィレンツェ共和国政府の中枢部であり,メディチ家もここを住居として使用し,そして現在のフィレンツェ市庁舎として現役である。また前にミケランジェロのダビデ像が置かれていることでも有名だが,現在あるのはレプリカで,本物はここからずっと北側のアカデミア美術館に保管されている。サヴォナローラが「虚栄の焼却」として贅沢品を悉く屠ったのもこの広場であった。

 ヴェッキオ宮殿から川沿いに向かうとウフィツィ美術館がある。「ウフィツィ」は英語の「オフィス」,この建物もやはり政庁舎であった。「ローマ劫掠」ののち,フィレンツェを制圧したのは,その張本人神聖ローマ皇帝カール5世。カール5世はメディチ家の当主アレッサンドロをフィレンツェ公に任じ,その統治を委ねる。フィレンツェは共和国から公国へと移行した。さらにアレッサンドロの息子コジモはローマ教皇よりトスカナ大公に任じられ,周辺国を併合してトスカナ大公国となった。共和政はもはや敷かれず君主国へと変貌を遂げる。フィレンツェはもはや都市国家ではなく,領土国家の一都市(首都ではあるが)となってしまった。

 トスカナ大公のコジモは前のコジモと区別されコジモ1世とよばれる。このコジモ1世が大公国の政庁として建てたのがウフィツィであった。設計者はジョルジョ=ヴァザーリ。ミケランジェロの弟子である。ヴァザーリも大学の美術史の授業でよく登場した人物だが,その大著「美術家列伝」の完訳は入手しがたく,まだ私も部分的にしか読んでいない。フランス語である「ルネサンス」をイタリア語の「リナシタ」という語で最初期に使用した人物である。

 ウフィツィ美術館を見学する前に昼飯時になった。シニョーリア広場からウフィツィ美術館あたりは観光客がもっとも多いところだから食べるものには困らなかったと思うが,何を食べたかはとんと思い出せない。ただイタリアに来たのだからと思いピスタチオのジェラートを食べたことは覚えている。たぶんそれでもって昼飯替わりとしたのだろう。とうとうあのウフィツィに入ることになった。何といってもボッティチェリである。

 ダヴィンチやミケランジェロの作品はほかの場所でも見られるが,ボッティチェリはそうはいかない。彼の代表作はこのウフィツィでないと見られない。フィレンツェで生まれ,生涯のほとんどをフィレンツェで過ごし,フィレンツェに埋葬されている。ピエロに見出され,ロレンツォの愛顧を受け,サヴォナローラに心酔した。メディチ家に頼らざるを得なかった芸術家が多かった中で,ボッティチェリは政権が代わってもフィレンツェを拠り所とした。さすがにサヴォナローラ失脚後は,気を落としたのだろうか,大作を残せずに亡くなった。

 ボッティチェリについては,矢代幸雄著『サンドロ・ボッティチェルリ』(岩波書店)という大著がある。日本人美術史家らしく,浮世絵,特に歌麿との比較考察が面白い。西洋美術や美術史に興味ある方にお薦めする。