朝の急行でローマに向かう。着いたのはローマ・テルミニ駅。「テルミニ」は英語の「ターミナル」である。日本語では「始発駅」あるいは「終着駅」であるが,「始発駅」ではあまり趣がない。「終着駅」というと,文学作品や映画のタイトルにもなりそうで感じがよい。わたしのこの年の旅もここローマが終着地である。
そもそも「終着駅」と日本語が生まれたのは,このローマ・テルミニ駅を舞台とした「終着駅」(1953)という映画からである。それまで「終点」という語はあっても「終着駅」という語はなかったらしい。それにしても昔の映画には洒落た邦題がつけられている。「着」の一字が入ることでグッと情緒が深まる。
この映画の監督はヴィットリオ=デ=シーカ。彼の作品には名作が多い,私の好きな作品には「自転車泥棒」(1948),そして「ひまわり」(1970)がある。戦後から1950年代にかけてのイタリア映画の潮流はネオリアリスモとよばれた。デ=シーカのほかにフェデリコ=フェリーニといった名監督がいる。フェリーニの「道」(1954)なんてのはこの時期の最高の作品である。ほかにもピエトロ=ジェルミの「鉄道員」(1956)なんてのもお気に入りである。とにかく1950年代のイタリア映画は黄金時代といってもよい。
「終着駅」は終始,テルミニ駅が舞台である。ストーリーはメロドラマの定番の不倫物。つくづく人は不倫物が大好きである。ローマに旅行にきたアメリカ人の人妻が,イタリア人英語教師と恋に落ちる。現実をみつめてアメリカに帰国することを決意する女,引き留めようとする男。最後には女はテルミニ駅からパリ行きの列車に乗る。タイトルは「終着駅」であるが,女にとってはゴールではなく,再出発の「始発駅」となった。
わたしはこのイタリア人教師ジョヴァンニ(モンゴメリ=クリフト)の軽薄さがあまり好きではない。駅を舞台とした不倫映画にはイギリスの「逢引き」(1945)がある。「終着駅」と違ってタイトルに品がないが,作品としてはこちらの方が好みである。監督はイギリスのデヴィッド=リーン。
「逢引き」のラストはこうである。不倫相手と別れた妻が家に帰ってくる。そして夫と向かいあって座る。悲しみを抱えた妻の表情。そこへ夫が妻を思いやる。夫は何があっかは知らないが,察しがついていた。夫は妻にこういう
何を考えていたの?楽しくないことだね。
私で力になれるか?
遠くへ旅をしたんだね。
よく戻ってきた。
名台詞である。こんな台詞いえるものか。夫も辛くてしょうがないはずである。結果的に事の顛末をすべて見ているわれわれはもっと切ない。
妻の不倫とその破局に気がついた夫の寛大な態度が光った「逢引き」に対して,反対の立場で妻側の言葉が印象的だったのがアメリカ映画「恋に落ちて」(1984)であった。名優ロバート=デ=ニーロとメリル=ストリープの演技が光る作品。それぞれが演じる家族のある男女が不倫関係となる。舞台はニューヨーク。出会いは書店。二人の間はプラトニックなものであったが,やがて男の妻が感づき始める。
ある日,妻は夫に問い詰める。夫はいう
ある女性に電車で出会ったが,何もなかった。もう終わったことだよ(Nothing happened)。
これに対して妻は
No, it’s worse, isn’t it?(何もなかった方がもっと悪いわ。そうでしょ。)
体ではなく,心を奪われた妻の悔しさか。相手の立場に身を置いたとき,何もなかったといわれたことに対する同じ女としてのブライドか。何もなかったとすべてを受け止める「逢引き」の夫,何もなかったことが罪であると責める「恋に落ちて」の妻。
さて「終着駅」が公開された1953年,もう一つローマを舞台とした名作が公開された。「ローマの休日」である。いわずと知れたオードリ=ヘップバーンの代表作中の代表作。ヘップバーンの相手はこちらも名優グレゴリー=ペック。ヘップバーンの相手役はいわゆる「おじさま」が多い。役者としてはハンフリー=ボガート(「麗しのサブリナ」)が好きなのだが,相手役としてはこのグレゴリー=ペックが一番いい。大金持ちとか社会期地位が高いといった役柄ではなかったからだろうか。この作品では逆にヘップバーンが王女役という高い地位にある。
「ローマの休日」はローマの観光宣伝映画でもあった。この映画の場面を追えば,ローマ観光は悩まずに済む。わたしもこの初ローマを映画の場面をたどってローマを歩くことにした。まずは宿を探して大きな荷物を置こう,とテルミニ駅を出たとたん。IDカードを首につり下げ,無線機を手にした人が幾人かうろちょろしているのが見える。私服なので警官ではない。そしてその一人に声を掛けられた。
彼らは旅行者相手にホテルを紹介してくれる人であった。ミラノでは駅を出たとたん,警官にホテルに連れていかれたので,こういった仕事は治安の面で必要なのだろう。イタリアの治安は悪い。特にスリなどの窃盗には最大の注意を払わなくてはならない。従って荷物を置くまでの移動距離が短い,駅に近い,そして手ごろな値段の宿を紹介してもらうことにした。もちろん彼らは英語を解する。この仕事は公のものだっただろうか,それとも旅行者を狙った儲け仕事だったのだろうか。
一抹の不安を抱えながらも,紹介してもらったホテルへ向かう。まずは駅正面から近い共和国広場に向かう。共和国広場は「ローマの休日」でアン王女が宿泊先を抜け出して最初にたどり着いた場所だ。この共和国広場を左にナツィオナーレ通りに入りもう少しだけ歩く。ホテルの看板が見えてきた。このホテルの名はよく覚えている。その名と場所のミスマッチ感がなんともいえない。「ホテル・マイアミ」。なんとも節操がない。
ホテル側には話が通っていたようで一安心。丁寧にいくつかの部屋をみせてくれて,名前ほどがっかりはしなかった。3泊の前払いでレシートも切ってくれた。調べてみると今もこのホテルは存在する。もう30年近く前のことだが,立地もよく一応お薦めしておこう。
大きな荷物を置いて,街歩きに出かける。とここでフランクフルトから続いた旅の話はここで一先ず終着ということにする。というのも来春30数年ぶりにローマを再訪することなった。ローマについてはいつか改めてお話することいたします。