カンボジアのシェムリアップは世界遺産アンコール=ワットの町である。アンコールはクメール人が樹立した王朝である。このクメール人がカンボジアの多数を占める民族であり,カンボジア語とはクメール語のことであり,そしてクメール文字がクメール語を表記する。
このクメール人が東南アジアで最初の国を建てた。中国の歴史書には「扶南」と記録されている。クメール語では「プナン(プナム)」と発音した。「丘(山)」を意味し,現在の首都プノンペンも「ペンの丘」の意味である。扶南は現在のカンボジアよりは南寄りに広がっており,現在のベトナムのメコンデルタやタイのチャオプラヤデルタをもその支配地域としていた。このことから水上交通による交易がさかんであったと推測される。さらに中国とインドの海上交通の中継地点でもあった。現在のベトナムにある港町オケオには扶南の隆盛を物語る遺跡や出土品が多数あり,2世紀のローマ皇帝マルクス=アウレリウスの金貨が発見されている。「オ・ケオ」はクメール語で,「水晶の運河」という意味らしい。インドとの交易とともにヒンドゥー教,続いて仏教が伝わる。
扶南国の一部であった「真臘」という国が7世紀に独立し,やがて扶南をも飲み込む。「しんろう」と読む。書けといわれても,ゴメンだと応えたくなるような文字を当てている。8世紀ごろに,内陸部の陸真臘とメコンデルタを中心とした水真臘に分離したが,9世紀にジャヤヴァルマン2世という王のとき再統一され,クメール王朝を樹立した。15世紀に滅亡するまで大半がアンコール(都城の意),つまり現在のシェムリアップ周辺に都が置かれたことからアコール朝ともいう。アンコール朝の真臘はクメール帝国ともよばれる。メコン,チャオプラヤ両河川流域を再び治め,やがてその領域はかつての扶南を凌駕した。
13世紀末,中国の元の時代に,この国を訪れた漢人の周達観という人物が,当時のクメール人について記録を残している。
真臘国は,あるいは占臘と称する。その国は自称して甘孛智(カンボッチ)という。(『真臘風土記』(平凡社東洋文庫))
現在,両隣国に比べて経済発展から取り残された感のあるこのカンボジアが,古代には東南アジアの文明の中心であった。このころベトナムにはチャンパ(占城)という国があった。現在のようにメコンデルタを持たない,南シナ海沿岸にわずかな領土しかもたなかったベトナムは,生産性においてカンボジアの足元にも及ばなかったはずである。
12世紀,チャンパとの抗争に勝利し,最大版図を築き上げたのがスールヤヴァルマン2世であった。この王の数代あと,12世紀後半に登場したジャヤヴァルマン7世の二人の治世がアンコール朝の最盛期となった。アンコール=ワットはスールヤヴァルマンが,王都アンコール=トムの中心部にあるバイヨン寺院はジャヤヴァルマンによるものであり,その他多くのアンコール遺跡がこの二人の手によるものである。