You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

アンコール=ワット~カンボジア⑨~

アンコールワット①

 午後,きっちりと雨が降った。傘は役に立ちそうにないどしゃぶりの雨である。夕方,雨は少し残っていたが,明るいうちにアンコール=ワットに向かった。アンコール=トムの南,いくらも離れていない場所にアンコール=ワットはある。アンコール=ワットを夕方にしたのは,スコールを避けるためと,西がこの遺跡の正面だからである。つまり午前中は逆光になる。朝日を背にしたアンコール=ワットも美しいというが,素人では巧く写真に収めることができないかもしれない。

 正面の西門から境内に入る。参道の入り口にはシンハ(獅子)とナーガ(蛇神)の像が待ち構える。遺跡は水を湛えた濠に囲まれおり,東西それぞれ一本の石畳の参道が架け橋の役割を果たしている。三本の土筆のように伸びた塔が次第に迫ってくる。実際は中央の高い塔を四本の塔が囲んでいる。真正面からだ残りの二本が見えない。前の二本に正確に重なっているからである。それだけ正確に計算されて建てられているのだ。カンボジア国旗の中央のデザインはこのアンコール=ワットであるが,やはり正面からみえる三塔だけが描かれている。ただ民主カンプチア共和国(1979~89年)とカンボジア国(89~91)では国旗の塔の数は5本あった。私が子どものころ知っていたカンボジア国旗は,この5本のものであった。



 アンコール=ワット(大きな寺院の意)はジャヤヴァルマン7世の数代前の12世紀前半,スールヤヴァルマン2世によって建立された。ジャヤヴァルマン,スールヤヴァルマン,アンコール朝の王には「ヴァルマン」と付く王が多い。「ヴァルマン」は「守護者・庇護者」の意味である。アンコール朝の王位の継承は実力主義であったという。新たに即位した王は,国の守護者としての権威・権力を国に示さねばならず,そのため数々の寺院が王の手によって造営された。

 新たな王には壮麗さだけでなく独自性も求められる。当時のアンコール朝はヒンドゥー教であったが,スールヤヴァルマン2世はそれまでのシヴァ派ではなく,ヴィシュヌ派の寺院としてこの寺院を造営した。シヴァ,ヴィシュヌはブラフマンとともにヒンドゥーの最高神の一人である。「ブラフ・ヴィシュヌロカ(聖なるヴィシュヌ神の世界)」,これがアンコール=ワットの元来の呼称である。

 15世紀,隣国タイ(アユタヤ朝)の侵攻とともに,アンコール=トム同様,アンコール=ワットもまた小乗仏教の寺院となった。ヴィシュヌ神の像は仏像へと変えられていった。内部では『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』などのヒンドゥー神話の見事なレリーフに囲まれながら,同時に仏像を拝むことができる。