アンコール朝が衰退すると,灌漑施設の整備も荒廃する。自然,この地域の稲作は周期的に訪れる雨季を待つしかなくなった。つまり浮稲栽培である。浮稲は自ら水位に合わせて成長するので,種子に回る栄養が少なくなる。手間はかからない反面,収穫量が少ない。成長させるのに時間がかかる。乾季に育てることができないからである。生産性を欠いたかつての大帝国は,その栄光を取り戻すことができなくなった。
クメール・ルージュのポルポトが目指したのは重農主義・農本主義国家の建設であった。そのためこの土地生産性の低い種の生産から,治水・灌漑による生産性の高い稲作への転換を図った。そのため現在ではほとんど浮稲はみられなくなり,収穫量が高く味のよい品種の栽培が主流となる。ポルポトの唯一の「功」があるとすればこのことだが,そのための土木作業は強制労働によるものであったし,計画性や専門技術を著しく欠いたものであった。それもそのはず,専門家などがいたら,その人物は知識人として処刑されるのだから。ポルポト時代のカンボジアの農業については前に紹介した『禁じられた稲』カンボジア現代紀行(清野真巳子著 連合出版)に詳しい。
浮稲栽培はトンレサップ湖周辺とベトナムとの国境近くの南部にわずかに残るという。「カンボジアの米はおいしいですね。」と日本語でガイドに話しかけた。何もへつらうつもりは毛頭なかった。ただもっと味気のないものだと思っていたのが,こちらに来て実際に食べると案外旨かった。日本にもとんでもなく味気ない米を出す,お代わり自由の定食屋はいくらでもある。それと比べれば断然旨かった。カンボジア人はよく米を食う。FAO(国連食糧農業機関)のデータ(FAOSTAT)で調べてみると,一人あたりの年間消費量,1日の摂取カロリーは世界2位(1位はともにバングラデシュ)で日本の約3倍である。1日の摂取カロリーの約60%が米または米の加工品である。
それでも女性のガイドさんはこういった。「日本の米はおいしい。でも,」と続けて,「高くて買えない。」