車からボートに乗り換える。乗り換えるのは,湖に流れ込む川岸からである。喫水の浅い細長の屋形船のような小型のボートが所狭しと並んでいる。乾季には湖の水深が1mになってしまうらしい。喫水の深い大きな船はここでは役に立たない。みな一様に明るいブルーの塗装が施されている。

ゆっくりと動き出したボートが湖に向かう。自転車ほども速度は出ない。両岸に高床に組まれた家屋が並ぶ。このときは8月,雨季であるが,水面から床までは少し余裕がある。多くの家屋もまたボートと同じ明るいブルーで綺麗に統一されている。あるいは観光者向けに清潔感をアピールしているのかもしれないが,濃い緑の熱帯林を背景にして,赤褐色の泥水に浮かぶこのブルーはあまりマッチしているとはいえない。
水上家屋には,民家のほかマーケットや学校,病院,警察のほか,教会まであるのは予想していなかった。これからボートに乗って学校にいく子どもたちがいる。大人がエンジン付きのボートで送迎するのかと思いきや,カバンを背負った女の子が自分の背丈よりも長い櫂を操って,自ら小舟を動かしている。


ハンモックで昼寝している人の姿,しゃがんで用を足している姿,人間の営みが赤裸々に見える。時折,舷側に寄せてくるボートがあり,観光客をみつけては何かしらものを売りつけようとする女性がいる。大人だけではない。金属のタライにのって近づいてくる子どももいる。男の子の体には蛇が巻きついていて,蛇の頭をつまんでみせる。子ども・タライ・蛇,それらすべてをショーとして,彼らは観光客相手にチップをせがむつもりだろう。女性のガイドは私たちに,「相手にしない方がよい。」と忠告する。「彼らベトナム人。」と加えた。その顔にはあからさまな嫌悪感がみてとれた。子どもに対する彼女の嫌悪感に私たちは複雑な気持ちにならざるを得ない。

これは海外では,特に多民族国家にはよくあることだが,その国に住む民族がすべてのわだかまりを越えて仲良く暮らしているとは限らないという現実である。現地のガイドさんがあからさまに他民族(少数民族)を毛嫌いする発言をすることがある。「~の人には気をつけた方がよい。」「~は怖い人たち」という類である。その国の事情も鑑みて,軽々しく私たちの平和や人権をおしつけるわけにもいかず,複雑な気分になる。
私たちは頭の中で,カンボジア人は困難な歴史を歩んできたことを知っている。だが困難を乗り越えてきたからといって,その人たちが他に寛容であるとはかぎらないのだ。「人は悲しみが多いほど,人には優しくできるのだから」(『贈る言葉』海援隊)という歌詞の唄があったが,それが理想にすぎない現実をみる時がある。人にはそれぞれ守りたい人がいて,守りたい家族があり,守りたいコミュニティーがある。たいていは手の届く範囲で手一杯になる。世界平和,基本的人権など絵空事で,そんな余裕はない現実もある。
トンレサップで水上生活する住民には数多くのベトナム人がいるという現状を,ガイドから聞かされた。「内戦の影響か?」と聞いてみた。「内戦」という日本語がよくわからなかったのか,英語で「civil war」と言ってみたが,彼女ははっきりとは答えなかった。
ジャヤヴァルマン7世の例をとらなくても,メコン川下流のベトナムと中流のカンボジアとの間には幾度も戦争があり,両民族の行き来は活発であったことは想像できる。一度はメコン川下流域まで支配したアンコール王朝が衰退するとメコンデルタはベトナム人が支配し,そこにはカンボジア(クメール)人が取り残さる。その一方で,カンボジア領域にも取り残されたベトナム人がいたはずである。
両国がフランス領インドシナの一部となると,フランスは比較的教育水準の高かったベトナム人をカンボジアに送り込む。土地の管理,プンテーションの経営などベトナム人を重用した。カンボジア人の反越感情はこのころから芽生えてくる。
現在のカンボジア人のベトナム人に対する嫌悪感はやはり独立後の内戦時代にあるのかもしれない。ポル=ポト政権時代,カンボジアのベトナム系住民は迫害・強制送還にあい,土地を失うことになる。ポル=ポトらクメール・ルージュは,カンボジア人の間の反越感情を利用した。1979年,そのポル=ポト政権を瓦解させ,親ベトナムのヘン=サムリン政権を樹立させたのはベトナムであった。このときから大量のベトナム人がカンボジアに再び流入する。ベトナム系住民はカンボジアにおいて政治的・経済的に再び支配的地位に就くことになった。この間も内戦は続き,反ヘン=サムリン派はカンボジア人の反ベトナム感情を煽る。カンボジア国民とベトナム系住民との間の不和は内戦とともに熟成されていった。
やがて内戦が終結すると,カンボジア人を恐れたベトナム系住民は,再びベトナムへの帰還をめざす。しかし難民の流入をおそれたベトナム政府は,彼らをカンボジア人であるとしベトナム国民として認めなかった。結局,ベトナム系住民は,カンボジアでもベトナムでも国籍が認められなかった。
カンボジアではカンボジア国籍をもつものでないと土地を所有することができないという。ベトナム系住民としても好きで洪水やワニや毒蛇が生息する厳しい自然や不衛生な水環境の下での水上生活を営んでいるわけではなかった。伝統的水上生活という触れ込みで,彼らの生活を垣間見る通りすがりの観光客としては,なかなか重い現実である。
私たちを乗せたボートの前方が開け,トンレサップ湖に出た。湖の水平線をみたのは初めてであった。湖の入口にある水上レストランに立ち寄る。ワニの養殖場がある。もちろん観光客の目を楽しませる目的もあるが,成長したワニは中国に輸出され,ハンドバックなどに加工されるそうだ。
水上レストランから湖畔に何やら50m以上はある白いポールがみえる。携帯電話の中継基地局らしい。前近代的生活の中に最先端のテクノロジーの波が押し寄せている。このあたりでもスマホが必需品になる日が近づいている。あのタライの少年も今頃は携帯の動画やゲームに興じているのだろうか。これもまた何ともいえない複雑な感覚である。


