シェムリアップ最後の夜はホテルでアプサラダンスのショーを見ることにした。席の予約をホテルの日本人スタッフの那須さんにお願いした。行ってみると最前列中央の特等席を用意して頂いた。ディナーはビュッフェ形式である。
アプサラダンスはクメール(カンボジア)の伝統舞踊である。「アプサラ」,「アプサラス」はインドの伝説で神々の踊子,あるいは天女である。水(海)を象徴する女神でもある。その姿はアンコール遺跡各地で目にするデバター(女性の踊子像)に留められている。ナーガと同様,クメール人の水崇拝の現れである。

したがって舞踊の中心的存在は女性であり,その立ち居振る舞いは滑らかで,指先からつま先まで,至る所に女性らしい曲線美を盛り込む。特に特徴的なのが,手の使い方である。手首や揃えた指を大きく反らすのだが,その尋常ではない角度やねじれ具合に魅了される。その型にはそれぞれ意味があるというが,仏教でいう印と同じ役割であろう。アプサラ舞踊も印形もやはり古代インド由来の共通文化といえる。タイにも似たような伝統舞踊があるが,これはアユタヤ時代からのもので,カンボジアのアンコール朝のあとになる。タイ舞踊の源流はカンボジアである。
アプサラ舞踊もまたポル=ポト政権下に弾圧を受けた。振付の記録,衣装,踊り手,指導者が悉く失われた。内戦後,それらを伝えるものはたった数名に過ぎなかったという。踊り手たちが身に着けているのは,これもまたポル=ポト時代に苦難の道を歩んだカンボジアシルクである。ちょうど日本の西陣織がそうであるように,「煌びやか」という語はたぶんこういうものをみたときの語ではないだろうか。


女性たちの踊りのあと,次の演目には猿の面をつけた演者が登場した。おそらく古代インド叙事詩の『ラーマーヤナ』のワンシーンが繰り広げられるであろう。猿は猿王ハヌマーン。この物語で重要な役割を果たす,ある意味隠れ主人公である。三蔵法師に伴する孫悟空,義経に従う弁慶といったらわかりやすいだろうか。

ダンスショー,演劇に続いて,伝統武術の演武が始まった。その恰好や技はタイ式キックボクシング:ムエタイにそっくりであるが,カンボジアではプラダルセレイとよばれている。どちらが元祖なのかはわからない。カンボジア人にしてみれば,一時はタイをも支配したクメールの誇りがあるのだろうが,興行的にはムエタイに遅れをとっている。
タイにしろ,カンボジアにしろ,武術もまたインドをその祖とするのが妥当であろう。インドには古代から継承されているカラリパヤットという武術がある。6世紀ごろ,インドのダルマ(達磨)が中国に禅宗を伝え,その修行の一環としての体術が中国武術(少林寺拳法)の始まりだとされる。中国武術は海を越えて琉球(沖縄)で空手(唐手)へと進化する。いずれも多彩な蹴り技がその魅力的なのだが,どういうわけか日本本土の伝統武術,相撲・柔道・合気道には蹴り技がない。
『日本書紀』垂仁天皇の項に,当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)との対戦が記されている。二人の戦いは現在の相撲のような取り組みではなく,「それぞれ足を挙げて蹴とばした。」とある。最後は野見宿禰が蹴速のあばら骨を打ち砕き,腰を折って勝利する。しかしその後,日本の武術に蹴り技が少なくなったのはどうしてであろう。ふとそんなことが頭によぎった。
西洋ではオペラは総合芸術といわれるが,アプサラダンスショーもまたカンボジアの伝統が詰められていた。カンボジアは仏教国であるが,その伝統文化にはインドの影響が強い。(もちろん仏教もまたインド発祥であるが)もちろんこれはシェムリアップだけを訪れた私の印象であり,プノンペン辺りではまた違うのかもしれない。カンボジア,特にシェムリアップを訪れる際には,『ラーマーヤナ』を読んでおくことをお薦めする。
カンボジアは危険なところか?という問いから始まったカンボジア紀行であったが,少なくとも観光地ではそれはない。犯罪はおろか,ボッタクリ,からかい,怒号,騒音,奇声,少なくとも私たちは不愉快な目には一度も出くわさなかった。犬(狂犬病)とコウモリ(ウイルスの宿主),そして生ものにさえ気をつければ,休暇は大満喫できる。日本からの直行便があればいうことなし。ラッフルズホテル・ダンコールの那須さんは,最後にこういった。「是非,乾季にもお越しください。また雰囲気は全然違いますよ。」