佐野の馬 戸塚の坂で二度転び
川柳
JR戸塚駅西口から西に歩き,国道1号線に出たところで南に左折。国道沿いに徒歩10分圏内に碑が所々建つのみ。羽黒神社あたりが目印,この辺りにあったのが澤邊本陣。旧国ではここから相模国に入る。相模国といえば鎌倉である。

鎌倉幕府第5代執権:北条時頼の時分,上野(こうずけ)国の佐野源左衛門常世という御家人がいた。時頼は病を得て後,執権職を譲って出家し,諸国行脚の旅に出る。僧形の時頼が一夜の宿に立ち寄ったのが,常世の苫屋であった。常世は僧(時頼であることは知らず)を庭の鉢の木を折って暖をとる薪としてもてなした。零落した家ではあったが,常世は「いざ」という時のため,幕府に奉公できるよう馬と武具だけは手放さずにいた。
後に幕府の大事の際,常世は,イの一番に鎌倉に馳せ参じ,時頼に目通りする。常世はこのとき,去る晩の旅の僧が時頼であったことを知る。常世の心意気に感じ入った時頼は,新たに三ヶ所の所領を恩賞として与えたという。『鉢の木』という能の演目であるが,これが「いざ鎌倉」の故事となった。
江戸時代の川柳にこの老兵を皮肉って「佐野の馬 戸塚の坂で二度転び」と詠んだものがある。戸塚のこの辺りには文字通り「大坂」という地名があり,坂のきつい地であったことが想像できる。常世が貧馬に鞭打って一目散に鎌倉を目指した姿が目に浮かんで,実直であるだけにその姿が滑稽である。鎌倉期(「いざ鎌倉」)に対比して,江戸期のこの緊張感のなさ(「二度転ぶ」)がよい。