You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ニューヨーク逍遥①~ニューヨークへ~

 「ニューヨークへ行きたいかぁ~」。読売テレビアナウンサー福留功男の掛け声に後楽園球場に集まった参加者が熱狂の渦に包まれる。小中学生だった私は,毎年秋の木曜日の夜,オープニングに「スタートレックのテーマ」が流れると,テレビの前に釘付けになった。私がニューヨークを訪れた1992年,「アメリカ横断ウルトラクイズ」はこの年で終了した。

 何から話せばよいのか,この街同様,私の頭の中は混沌としている。サイモン&ガーファンクル,ビリージョエル,スティング,フランク=シナトラ,音楽だけ見ても共通点なんかありはしない。О・ヘンリー,ラングストン=ヒューズ,エラリー=クイーン,トルーマン=カポーティ,ほらこの中から思想めいた共通項など見つかりはしない。映画など挙げていくとキリがない。

 私にとってニューヨークは,子どもが欲しいものだけを詰め込んだおもちゃ箱のようなものであった。おもちゃ箱をひっくり返しに行く。そんな気分で1人飛び立った。当時20歳の冬であった。

The big city’s a wonderful toy

Just made for a girl and boy

We’ll turn Manhattan into an isle of joy

(この大都会は素敵なおもちゃさ

 坊ややお嬢ちゃんのね

僕たちはマンハッタンを喜びの島にするんだ)

アンリ菅野『In Manhattan』より,ジャズのスタンダードナンバー『Manhattan(マンハッタン)』作詞ローレンツ=ハート,作曲リチャード=ロジャース


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ニューヨークに行くなら是非聞いてほしい高校時代よく聴いたアルバム。でももう廃盤なんだよね~。

 

 何ということであろうか。現在,関西国際空港からニューヨークへの直行便は一本も出ていないという。最低1回はどこかで乗り継ぐことになるわけだが,かつて伊丹空港(大阪空港)からは直行便が飛んでいた。関西空港が開港する前,大阪伊丹空港は関西の国際線を一手に引き受けていた。私は伊丹空港から2kmと離れていないところに下宿していたため,関西空港開港はむしろ不便の一言であった。

 当時,伊丹空港発ニューヨーク行きを運行していたのは,今はなきノースウェスト航空(現デルタ航空と合併)であった。NW70便の機体は正確にはニューヨークへ直行するのではなく,オーストラリアのシドニーから大阪で給油してニューヨークへ向かう経由便であった。シドニーはニューヨークの地球の裏側ほどの位置にあり,大都市を結ぶことで一石二鳥というわけである。伊丹空港は17:00代に出発する。価格は10万円前後であったと記憶している。

 シドニーからの乗客が乗り込んでいるはずなのに,座席には空席が目立ち,後方の喫煙席(このころはまだ機内で喫煙が可能だった)は中央の4列は一人で独占状態。ただし座席に個別モニターなどはない時代であるから,一人きりの半日近くのフライトは暇との戦いであった。長距離フライトでは二度,映画が前方モニターに映し出されるのが相場で,これで約4時間の暇つぶしができる。ただ好き嫌いは選べない。

 一列前の白人男性は,「ウィスキー・コーラ」を度々注文していた。アルコールの力で眠りにつきたい気持ちはよく分かるが,スチュワーデス(と当時はいった)に「too much drink(飲みすぎですよ)」と注意されるほどの勢いであった。ウィスキーをコーラで割るとは,そういう発想は当時の私にはなかったが,いかにもアメリカ人らしい発想である。ストレートでもない,オン・ザ・ロックでもない。なんだか都会の響きがして,そんなに気に入っているのなら,「私も」と一度試してみた。何時間も先のニューヨークに少し近づいた気がした。あくまでも気分である。