ニューヨークの宿泊先はエンパイアステートビルの南側,西31~32番いずれかに面するコリアンタウンにあった。この場所がコリアンタウンであることは予約を入れた時点では知らなかった。ただグランドセントラル・ステーションに近いこと(のちの移動のため),五番街とブロードウェーにアクセスしやすいマンハッタンの中心であること,もちろん手軽な値段などを考え抜いた上での選択であった。
街にくりだす。初日はすぐそばのブロードウェイを北上し,ハーレムで折り返して五番街を下って帰って来る。
今,いるのはニューヨーク市のマンハッタン。市は5つの地区で構成されていることは前述した。マンハッタン,マンハッタン地区あるいはマンハッタン島ともよばれるが,すべて同意と考えてよい。ニューヨーク州を北から流れるハドソン川が河口で二股(一方がイーストリバー)に分かれ,中州を形成する。この中州をマンハッタン島とよんだのは先住アメリカ人(かつてはインディアンと表現した)である。彼らの言葉で「丘の島」を意味する。実際マンハッタン島は北部がやや高く,丘陵をなしているということだが,勾配を感じるほどの場所には行っていないので分からない。
17世紀,オランダ人が先住民から買い取った。その額60ギルダー。1965年の物価に換算すると約40ドルであった。(『ニューヨーク』猿谷要著 文藝春秋)このときの売買は後に「史上最大のバーゲン」とよばれることになった。(同書)
17世紀はオランダの世紀とよばれるほど,世界の海はオランダ人商人であふれ,その富は首都アムステルダムに集中した。その先駆けとなったのは1602年に設立されたオランダ東インド会社であった。続けて1621年には西インド会社を設立して大西洋貿易を独占し,1626年に購入したこの島は「ニューアムステルダム」と名づけられ,ここを中心にしたオランダ人入植地はニューネザーラント(新しいオランダの意味)とよばれた。やがてイギリスとの戦争(英蘭戦争)で敗れたのち,ニューアムステルダムはニューヨークと改められ,イギリスの支配下に置かれた。このことはもっと後にお話しするかもしれない。
それからのち18世紀も後半になって,アメリカがイギリスから独立したことは御存知の通りだと思うが,マンハッタンが現在の形に整備されたのは19世紀に入ってからのことである。オランダ植民地時代からすでに主要道路として利用されていたブロードウェイを除いて,南北と東西の道路が直角に交わる碁盤目状の都市計画が進められていく。
街路は実に単純に命名されており,ほぼ南北に走る通りはアヴェニュー,東西はストリート。それぞれ順に番号をふったものが街路の名称となる。アヴェニューはマンハッタン島の東岸,イースト・リバーから西岸のハドソン川まで12本。日本語では「~番街」と訳されるのが一般的である。一方,マンハッタン島は南北に細長いため,ストリートは南から北まで220を数える。「~番通り(ストリート)」あるいは「~丁目」といった訳し方があるが,アヴェニューと同じく「~番街」とすることもある。
通りを「丁目」と訳すのはマンハッタンの住所がストリートが基準になっているからだ。その先の日本でいう「番地」にも複雑な規則性があるものの,アヴェニューとストリートの数字をみれば,自分がマンハッタン島のどの辺りにいるかのおよその見当がつき,よほどのことがない限り迷子になることはない。(実際は番号のない街路も無数に存在するが)
独立戦争の司令官ジョージ=ワシントンがアメリカ初代大統領に就任した1789年,アメリカの初代首都はここニューヨークに置かれた。すぐにフィラデルフィアに移され,現在のワシントンDCに落ち着いたのは1800年のことである。そのとき初代大統領の名を冠した首都にワシントンの姿はなく,2代ジョン=アダムズの治世であった。
ニューヨーク市の大改造はその後,第4代ジェームズ=マディソンのころに始まる。5番街とブロードウェイが交差するあたりをマディソン・スクエア(公園)というのは,この大統領に因む。この公園に隣接した興行施設はマディソン・スクエア・ガーデンと呼ばれ,幾度かの移転ののち,現在の8番街31番ストリートにある。ホテルを出た私は今そこに向かっている。
ホテルのある31番ストリート(32番?)から西(北西)へブロードウェイを横切り,しばらくすると7番街と8番街の間にマディソンスクエア・ガーデンが見えてくる。いわずと知れたエンターテイメントの殿堂,特に室内スポーツのメッカである。私はボクシングやバスケットボールなどの室内スポーツにはあまり詳しくないが,もちろんコンサート会場としても近くのカーネギーホールに並んでミュージシャンたちの憧れの地である。中でも私の好きなニューヨーカー,ビリー=ジョエルはここでの公演記録を持っているとのことだ。三階層の客席をもつほぼ円形の建物は,近代建築ではあるがやはりローマ時代の円形闘技場を模したものであろう。