You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ニューヨーク逍遥⑤~ブロードウェイ~

 タイムズスクエアからはブロードウェイを北上する。マンハッタンの大通りの中でブロードウェイだけが,直交する街路の中を斜めに貫くのは,17世紀のオランダ植民地時代にはすでに主要道路として拓けていたからである。

 現在,「ブロードウェイ」という語は,単なるマンハッタンの「広い道」を意味するだけでなく,「ミュージカル」の本場の代名詞となっているのは,タイムズスクエアを中心に劇場が集中しているためである。50番ストリートあたり,左手(西側)に見えてくるガーシュウィン・シアターはブロードウェイ最大の劇場である。スポーツのマディソンスクエア・ガーデン,音楽のカーネギー・ホールに並ぶ,演劇のガーシュウィン・シアター。作曲家ガーシュウィン兄弟にちなんだ劇場である。

 アイラとジョージのガーシュウィン兄弟は東ヨーロッパをそのルーツにもつユダヤ系であった。作曲家として日本で知名度が高いのは弟のジョージの方である。20世紀はじめ,すでにブロードウェイのスターであったアル=ジョルスンがジョージの作曲した『スワニー』を舞台で歌ったことが,ガーシュウィンの名を一躍有名にした。

 20世紀初頭といえば,音楽の世界ではジャズが台頭してきた時代である。ジャズとは何かとは私には荷が勝ちすぎている。ニューオリンズ発祥の黒人音楽とよく言われるが,そのスタイルは多岐にわたり,私になど定義できようはずはなく,うんちくも持ち合わせていない。それでもあえてそんな私が簡潔に言い表すなら,非クラシック音楽とでもいおうか。白人西洋音楽,バッハ以来の積み重ねられてきた形式(音階・和音・構成など),演奏スタイル,楽譜主義,こういったものを丸めて放り投げてしまった。

 そういうことであるから20世紀初頭,ジャズミュージシャンにはやはり黒人が多かった。だが白人の中にもいた。白人が黒人に扮して歌うミンストレルとよばれる(差別的ではあるが)歌唱は19世紀から盛んに演じられた。アル=ジョルスンもその一人であった。そしてガーシュウィンが表舞台に登場する。彼は背反するジャズとクラシックの融合を試み,そしてあの名曲が誕生する。『ラプソディ・イン・ブルー』である。クラシックに分類する人もいれば,ジャズに分類する人もいる。ジャンルに選り好みのない私にはたいした議論ではないのだが。

 1920年代,ジョージ=ガーシュウィンは,兄である作詞家アイラと組んで数々のミュージカル・ナンバーを生み出し,『アイ・ガット・リズム』,『スワンダフル』など現在でも多くの曲がジャズや映画音楽のスタンダード・ナンバーとして残っている。その宝庫とでもいえるミュージカル映画が『巴里のアメリカ人』(1951)。主演のジーン=ケリーは,フレッド=アステアとともにダンスとは全く無縁の私でもそのステップに憧れてしまう男優であった。『雨に歌えば』(1952)で土砂降りの中傘を振り回して踊りたおすシーンは,ただただ痛快で,今でもYou-Tubeなどで何度も見てしまう。


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 そんなわけで,私もかつてはミュージカルをよく見たものなのだが,本場ブロードウェイでミュージカルの観劇となると二の足を踏む。どこで,どれを見るか金銭的な問題もあるが,何より私が見てきたブロードウェイ・ミュージカルはすべて舞台ではなく,テレビ放映かビデオであった。つまり吹き替えか字幕付きであったのだ。

 いや一度だけ,生舞台を見たことがある。大学の入りたての頃,バイト代を奮発して大阪フェスティバルホールのA席をとった。本場ブロードウェイからやってきたという『南太平洋』(1949初演 1959年映画化)てであった。中で歌われた『魅惑の宵』に酔いしれたが,そのときも舞台の両端に字幕が電光盤で映し出されていた。

 結局,臆した私はニューヨーク滞在中,一度もブロードウェイでミュージカルを見ることはなかった。