You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ニューヨーク逍遥⑨~ラングストン=ヒューズ~

 コロンビア大学の北側にシュガーマウンテンならぬシュガーヒルとよばれる区画がある。ニューヨークに数ある高級住宅街の1つだ。マンハッタン島は北部がやや高く,丘になっていることから「丘の島(マンハッタン)とよばれたことは前にも話したが,古くからシュガーヒルでは文字通り甘い生活が営まれていた。

 この一画はもう少し大きくみるとハーレムという一帯の一部である。「ハーレムのシュガーヒルに行くならA列車でいこう」とはジャズのスタンダードナンバー『A列車で行こう』の歌詞である。A列車とはマンハッタンを南北に貫き,イーストリバーを渡ってブルックリンへと続くニューヨーク市営地下鉄のA線のことである。この曲はビッグバンドで演奏されることが多いが,私は日本の阿川泰子が歌う『A列車で行こう』が好きだった。この曲,急行列車をイメージしてか,早口言葉のごとく早いテンポに歌詞が載せられているのでよほど歌が巧くなければ,私などは口ずさみもできない。阿川泰子が歌うジャズは雰囲気もさることながら英語が実に綺麗で聞き取りやすい。


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 そのハーレムと呼ばれる地域にこれから突入する。緊張感が高まる。というのも私が訪れた当時,ハーレムといえばマンハッタンの中でも治安が特に悪い地域として,観光客は一人で入らない方がいいとよくいわれた。

 日本語のカタカナ表記だと「ハーレム」となるが,日本人がよく使う大奥(後宮)のような意味ではない。これはトルコ語であり,「ハーレム(ハレムとも)」は「harem」と表記する。オスマン=トルコの都イスタンブールにあるトプカプ宮殿のハレムが世界的に知られる。一方,マンハッタンの「ハーレム」はオランダの地名から来ており「Harlem」と表記する。かつてこの地を最初に支配したオランダ人の居住区があり,19世紀末までは高級住宅街として知られた。

 20世紀初め,地価の大暴落をきっかけに,この地区にアフリカ系アメリカ人(黒人)が大量移入すると,一気に彼らの居住区となった。南北戦争後も差別的な南部から,自由や仕事を求めて北部の工業都市へとアフリカ系の人々が大移動を開始し,ハーレムは一気に黒人街へと様変わりする。

 1930年代に本格化する恐慌の波にのまれ,人種差別や貧困が増すにつれて,犯罪も増加した。それが1990年代まで続く。現在,テレビなどでハーレムの様子を見ると随分雰囲気が変わっていることに驚きと喜びを覚える。瓦礫やガラクタ,落書きだらけだった町が,すっかり整備され,人通りも賑やかで爽やかである。

 西125番通りまで登って来た。アポロシアターに向かっている。ブルース,ジャズ,ゴスペル,黒人音楽の殿堂のみならず,黒人文化の象徴といってもよい。中でもジャズはよく聞いた。ビッグバンドを率いたデューク=エリントンやカウントベイシー,ルイ=アームストロング,サラ=ヴォーンにビリー=ホリデー,ビ・バップ(即興演奏)のセロニアス=モンクらジャズ界の大スターがここで演奏した。

 アポロは古代ギリシャの主神ゼウスの息子。太陽神であり,音楽・芸術の神である。ハーレム=かつてのスラム街のイメージは一面的な見方であり,彼らが活躍した1920~30年代はハーレム・ルネサンスとよばれるほど,音楽のみならず文学・アートなど黒人による芸術文化が開花した。現代のアメリカ文化はハーレム・ルネサンスが下敷きになっているといってよいぐらい,ここで濃縮された彼らの文化は,やがてアメリカ全土へ解き放たれ,そして世界に拡がっていく。その中心がアポロシアターであった。太陽神の名を冠するに相応しい場所である。

 その外観は,ブロードウェイの劇場街と比べるとやや見劣りするが,看板の作りやその「APOLLO」のフォント(字体)は古きよき時代のアメリカの雰囲気を残しており,私が訪れたころはまだ周囲を含めて1920年代を十分に体感できた。ただ長居するには躊躇があったが…。

 

 ラングストン=ヒューズという詩人がいる。生まれは中部のミズーリ州だが,ここニューヨークのハーレムを拠点にハーレム・ルネサンスの旗手的存在となったアフリカ系アメリカ人である。高校時代,学校の図書館で偶然,彼の詩集を手に取った。目に止まったのが「自由という言葉(Words Like Freedom)」という二連からなる四行詩。

There are words like Freedom

Sweet and wonderful to say.

On my heartstrings freedom sings

All day every day.

(口にすると甘く,とてもすばらしい

「自由」という言葉がある

僕の心の中で自由が歌う

毎日,一日中)

 

There are words like Liberty

That almost make me cry.

If you had known what I know

You would know why.

(それを聞くと泣きたくなるような

「自由」という言葉がある

僕の心の中が分かったら

あなたにもその訳が分かるだろう)

※「自由」を表す英語に「freedom」と「liberty」が使用されていますが,違いはあれど両方「自由」と訳しました。

 コロンビア大学に通っていたラングストン=ヒューズは,大学における人種差別的偏見から,学校を去る。世界各地を転々としながら,自らのルーツや人間の普遍的価値観(自由・平等)を求めて,黒人文化の中心地ハーレムを拠点に活動する。すでに高校時代から詩を書き始め,その才能を認められていたが,やがてハーレム・ルネサンスの旗手として頭角を現す。「ハーレム」を関した題した詩がいくつかある。

 Harlem   Langston Hughes

 

What happens to a dream deferred?

 

Does it dry up

Like a raisin in the sun?

Or fester like a sore—

And then run?

Does it stink like rotten meat?

Or crust and sugar over—

like a syrupy sweet?

 

Maybe it just sags

Like a heavy load.

 

Or does it explode?

 

 (いまだかなわぬ夢はどうなる?

 

干からびてしまう?

陽の下の干しブドウみたいに

それとも傷みたいに化膿する

それから膿が流れ出る?

腐った肉みたいに悪臭を放つ?

それとも甘ったるいお菓子みたいに

砂糖まぶしにしたり パイ皮で包んだりする?

 

多分 真ん中たわむだけ

重い荷物みたいに

 

それとも爆発する?)

日本語訳はハーレム[2]いまだ叶わぬ夢Harlem[2] ラングストン・ヒューズの詩 | ゆきのたより/snowmail

より拝借いたしました。「snowmail」さんはブログの中でラングストン・ヒューズの詩の翻訳を数多く手がけておられます。興味ある方は是非訪問してみて下さい。その他にも素敵な記事が満載です。

 1951年の発表されたこの詩は,すでに公民権運動(1960年代)を予感している。アポロシアターから東へ125丁目通りは,マルコムX通りと交差する。125丁目通りは別名,公民権運動の旗手の名をとってマーティン=ルーサー=キング(牧師)通りとも呼ばれている。マルコムX,キング牧師は通りの名としても残るが,ラングストン=ヒューズの名をもつ通りはない。