You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

ニューヨーク逍遥⑩~スパニッシュ・ハーレム~

 125番通りが五番街と交差する地点までやってきた。ここまでのハーレムをセントラル・ハーレムとするならば,これより西をスパニッシュ・ハーレムという。このスパニッシュ・ハーレム沿いに五番街を今度は折り返して南へ下る。

「スパニッシュ」とはいうが,「スペイン系」のことではなく,「スペイン語系」といった方がいいだろう。アメリカではスペイン語を話す人々をヒスパニックと呼ぶが,そのルーツはラテンアメリカである。ラテンアメリカとはメキシコ以南の地域の総称であるが,この地域の国々は総じてスペイン(ブラジルはポルトガル)の植民地であったことからスペイン語(ブラジルはポルトガル語)が公用語となっている。スパニッシュ・ハーレムにはラテンアメリカからの移民が多かった。

 中でもプエルト・リコからの移民が多数を占める。プエルト・リコはカリブ海のほぼ西端にある小さな島であるが,1898年のアメリカ・スペイン戦争(米西戦争)でアメリカが勝利した結果(パリ条約),アメリカがスペインから獲得した。キューバの独立が承認され,グアムやフィリピンがアメリカ領となったのもこのときの条約によるものである。以後,プエルト・リコ住民はアメリカ国籍を保有するので,アメリカのプエルト・リコ系住民は正確には移民とはいえないかもしれない。

 私が最初にラテン音楽に接したのは,伯父から譲られたハリー=ベラフォンテのレコードであった。もちろん代表曲は『バナナボード』。「デェーオ,イデデ,イデデ,イデデェーオ」と奇妙なお祈りのような掛け声が,英語も知らない小学生であった私が,悪ふざけに口ずさむのに丁度良かった。実際の歌詞はこうである。

Day-o, day-o

Daylight come and me wan' go home

Day, me say day, me say day...day-o

Daylight come and me wan' go home

(朝日だ、日が昇る

夜が明けたら ウチに帰りたい)

 「バナナボート」は,ジャマイカの民謡である。バナナの積出港で働く荷役たちの労働歌であった。当時こういった肉体労働はおそらく黒人の仕事であったろう。しかしそこにはアメリカ(合衆国)で生まれたブルースのようなブルー(憂鬱)がない。何とも陽気な曲である。

Work all night on a drink of rum

Daylight come and me wan' go home

(ラム酒を飲んで徹夜で作業

夜が明けたら ウチに帰りたい)

Stack banana till de morning come

Daylight come and me wan' go home

(日が昇るまでバナナを積み込む

夜が明けたら ウチに帰りたい)

Come, Mister tally man, tally me banana

Daylight come and me wan' go home

(荷役係の兄ちゃんよ、運んだバナナを数えておくれ

夜が明けたら ウチに帰りたい)

Six foot, seven foot, eight foot bunch

Daylight come and me wan' go home

(一房に6本、7本、8本のバナナ

夜が明けたら ウチに帰りたい)

ハリー=ベラフォンテもまたハーレム生まれであるが,父がジャマイカ出身で,ラテンアメリカにルーツを持っている。


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 もう一人紹介する。アポロシアターが生み出した偉大な黒人歌手の一人にベン=E=キングがいる。『スタンド・バイ・ミー』やドリフターズ時代の『ラストダンスは私に』でよく知られるが,彼の曲に『スパニッシュ・ハーレム』という曲がある。歌詞もメロディもリズムもラテン系の乗りである。

There is a rose in Spanish Harlem

A red rose up in Spanish Harlem

(スパニッシュ・ハーレムに一本のバラがある、

真っ赤なバラがスパニッシュ・ハーレムに。)

 この歌詞の「バラ」とは多分,女性のことであろう。この歌で何度も繰り返される「red rose」といい,『バナナボート』の中で繰り返される「daylight」といい,ジャズやブルースとは一線を画す,ハーレム音楽の違う一面を味わえる。


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 スパニッシュ・ハーレムが「スパニッシュ」となる前,19世紀は「イタリー」が多くを占めた。同じラテン系でもイタリア系である。中でもイタリア南部やシチリア島出身者が多かったという。イタリアではよく南北問題が取りざたされるが,南北に長いイタリアでは工業化が早くから進んだミラノ,トリノ,ジェノヴァなどに対して南部はその発展に取り残されていた。19世紀中ごろから南部の貧困層は新天地を求めてアメリカに渡り,ニューヨークではこのハーレム東地区にコミュニティを置いた。

 まだこの地区がイタリアン・ハーレムであったころ,ここからアル=パチーノが生まれている。そのアル=パチーノが『ゴッド・ファーザー』の主役に抜擢され,はまり役になったのはまさに運命であったろう。