You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

夢のカリフォルニア~ロサンゼルス②~

 私が生まれた1971年,イーグルスが結成された。もちろん「楽天」ではない。アメリカのロックバンドのイーグルスである。中学のころアルバム『ホテル・カリフォルニア』をレンタルレコード店で借り,歌詞をすべて写し取って,それを夢中で和訳した。(当時,洋楽はすべてこんな感じであったので随分英語の勉強にはなった。)

 彼らは戦後生まれ,ちょうど私の母と同い年ぐらいである。その彼らが17,18歳のころであった1965年,全米で大ヒットした曲があった。『夢のカリフォルニア(California Dreamin')』(ママス&パパス)である。ヒッピー運動も背景にあって,ラジオから流れる『夢のカリフォルニア』を聴いた多くの若者たちがアメリカ各地から西へ,そしてカリフォルニアを目指した。歌詞の内容は「灰色の空」,「枯葉」,「冬の日」などおよそカリフォルニアとは縁遠い語句が並び,「ロサンゼルスに居たなら」と歌の主人公は「カリフォルニアを夢見る」。裏を返せば「こんなところにいてる場合じゃない」という叫びである。イーグルスのドン=ヘイリーはテキサス州,グレン=フライはミシガン州の出身であった。これでもかと町中で流れる『夢のカリフォルニア』,心も体も西に向ってうずうずしていたに違いない。やがて運命に導かれるかのように彼らはカリフォルニアで出会い,のちにウェストコースト(西海岸)・ロックを象徴するロックバンドとなった。

 父と見た『スター・ウォーズ』から10年後,私は『夢のカリフォルニア』を聴いていたイーグルスメンバーたちの年齢になった。高校2年が正式に終了する前に私はアメリカへ単身旅立った。映画と音楽に夢中だった私は,「とりあえずアメリカへ」という思いを我慢しきれなかった。浪人なんてことも視野に入れると,大学に入るまで待つなんてとんでもない時間の無駄に思えた。

 アメリカといっても当然広い。エンターテインメントも分野によって聖地が異なる。ミュージカルとジャズならニューヨーク。映画ならロサンゼルス。デキシーランドならニューオリンズ。ブルース,カントリー,ロックンロールならメンフィス。

 私の最初の海外は映画の聖地を目的地に決めた。カリフォルニア州ロサンゼルス,ハリウッドである。ちなみに「Hollywood」の「Holly」は「Holy」ではない。「Holy」は「聖なる」であるが「Holly」は「柊(ヒイラギ)」である。しかし誰にとってもそうであるように私にも映画の聖地に意外の何ものでもなかった。

 

 私が西海岸を選んだ理由はもう1つある。中学・高校時代,私は週刊少年ジャンプとFMステーションなる雑誌を購読していた。FMステーションは隔週刊で200円程度であったと思う。FMラジオ放送に関する番組,情報誌であったが,音楽,殊に洋楽の情報の多くを私のこの雑誌から得ていた。さらにこの雑誌の魅力は,毎号付録に切り取り式のカセットレーベルである。当時はまだカセットテープが全盛の時代。レンタルレコードをカセットに録音して,カセットケースに切り取ったお気に入りの付録レーベルをはめ込み,裏に曲名を書き込むのである。

 表紙を飾ったのは鈴木英人のイラスト,付録のレーベルにも1枚,この人のイラストが使われていた。鈴木英人のイラストこそが私をロサンゼルスに誘った風景であった。私は彼の西海岸風の明るいイラストが大好きであった。海,空,車,道路,カフェ,ダイナー(レストラン),看板。私の中のあこがれのアメリカ,かっこいいアメリカの風景がこれだった。その鈴木氏のイラストには「ハードロックカフェ」のロゴが入ったものが多かったように記憶している。「コカ・コーラ」なんてものと同じようにそれだけアメリカを象徴するものなのだろうと思っていた。これが何ともかっこよかった。