You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

サイゴン大聖堂~ベトナム紀行⑫~

ドンコイ通りをさらに北西に歩くと,その先に街路樹の隙間から赤煉瓦の建物が見えてくる。サイゴン大聖堂。フランス植民地時代に建てられたカトリックの教会である。グレアム=グリーンは『おとなしいアメリカ人』の中で,その場所を「悪趣味なピンク色の大…

カトリーヌ=ドヌーヴ~ベトナム紀行⑪~

第一次インドシナ戦争を題材にとった映画には『インドシナ』(1992)というフランス映画がある。こちらはカトリーヌ=ドヌーヴ主演ということで飛びついた。彼女が若いころ主演した『シェルブールの雨傘』(1964),『ロッシュフォールの恋人たち』(1967)は私が…

コンチネンタル・サイゴン~ベトナム紀行⑩~

マジェスティックはホーチミン市の目抜き通り,ドンコイ通りの南東の端にある。まずはこの通りを北西に歩く。通りはカフェやブティック,雑貨店など旅行者向けのショッピングストリートになっている。建物はたいてい3~4階建で圧迫感はない。通りの両サイド…

開高の部屋~ベトナム紀行⑨~

マジェスティックには世界の数々の著名人が宿泊しているが,その中にはベトナム戦争を取材し,あまりにも有名な『安全への逃避』をはじめ,数々の写真を残した戦場カメラマンの沢田教一もいる。彼は1970年,カンボジアを取材中に命を落としている。 同じ時期…

サイゴンの一番長い日~ベトナム紀行⑧~

朝食は5階のブリーズ・スカイ・バーでとる。一部オープンテラスとなっている。もちろんビュッフェ形式だが,頼むと好みの卵料理はもちろん,フォー(ベトナム麵)やベトナムアイスコーヒーも作ってくれる。1975年,産経新聞の特派員であった近藤紘一がサイゴン…

ホテル・マジェスティック・サイゴン~ベトナム紀行⑦~

ホテル・マジェスティック・サイゴン サイゴンではコロニアル様式のクラシックホテルと決めていた。選択肢は早くから2つに絞っていた。コンチネンタルかマジェスティックである。悩んだ末にマジェスティックに決めた。決め手は予約の際の無料サービスが充実…

東洋のパリ~ベトナム紀行⑥~

サイゴン(ホーチミン)市はベトナム南部の中心都市である。よく首都と勘違いされるほどであるが,ベトナムの首都は北部のハノイである。古くから経済都市として発展し,ベトナム最大都市であるばかりでなく,人口900万人を超える東南アジア有数の大都市である…

アメリカの撤退~ベトナム紀行⑤~

大学の二次試験を終えたあと,そのまま大阪梅田の映画館に立ち寄って見たのは『7月4日に生まれて』(1989)であった。映画好きではあったが,奈良の田舎出身の私の近くに映画館はなく,大阪まで出ないとロードショーをみることはできなかった。深夜を含めてテ…

戦争映画のステレオタイプ~ベトナム紀行④~

アメリカ人,ベトナム人両者の生き地獄が8年間続く。アメリカ兵の中には精神に異常をきたすものもいた。多くの兵が帰国してなお,その後遺症に悩まされた。ベトナム戦争を題材にとった映画の多くは,崩壊していくアメリカ兵の精神状態に焦点があてられている…

アメリカの介入~ベトナム紀行③~

ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイに…