今でもあるのだろうか。メトロにはカルネという回数券があった。メトロの運賃は一律同じなので,1回乗るごとに回数券の束から一枚ちぎって使う。回数券といっても当時は切符大のブルーの厚紙だった。日本と比べるとそのクオリティの低さに唖然とした。今となってはこのアナログさが懐かしい。
オテル・ド・ヴィルからバスティーユへ。地上に上がるとやってしまった感があふれた。恥ずかしながら,その当時の私はバスティーユにはバスティーユ牢獄(跡)があるものだと思い込んでいた。当然そんなものは革命がおこった直後からなく,今は広場と記念碑だけが残されている。記念碑も1830年の7月革命の記念柱で,1789年を記念していない。
あとになってバスティーユ牢獄の痕跡が残されていないか調べてみると,広場に近いセーヌ川沿いのアンリ・ガリ公園というところに遺構が残っているそうだから,興味ある方はいってみられるとよい。とにかく現在バスティーユにバスティーユ牢獄はない。
1789年7月14日,国民が期待を寄せていた財務大臣ネッケルが罷免されるとパリ民衆は激怒。国王は暴動を恐れ,軍隊をパリに向けた。パレ・ロワイヤルにおけるデムーランの演説(「武器をとれ」)によってパリ市民は蜂起,民衆は一路バスティーユに向った。フランス革命の始まりである。バスティーユは政治犯が収監される牢獄であり,旧体制(アンシャン・レジーム)の象徴であることから市民の標的となったとよくいわれるが,そうではない。バスティーユは当時牢獄としてよりも武器庫としての役割が大きかった。つまり市民が国王軍に対抗するための武器がそこにあったからである。
革命が勃発した7月14日は,アメリカ人にとっての7月4日(独立記念日)と同様,フランス人にとっては特別な記念日である。日本ではこの日をなぜか勝手に「パリ祭」などとよんでいる。邦題『巴里祭』(1933)というフランス映画があるが,ここからきたのだろうか。この映画の原題は「7月14日」である。同名のこの映画の主題歌の方が,日本人のおなじみのシャンソンとして有名である。私が知ったのも映画より曲の方が早かったが,のちのちフランス革命に関連した歴史映画かと思って見てみた。全く革命とは関係のない映画であった。またしてもやってしまった。