You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

イル=マニーフィコ~ドイツからイタリアへ㉝~

ピエロのあとを継いだのはその息子ロレンツォであった。ロレンツォは「イル=マニーフィコ」とよばれる。「偉大な」という意味である。メディチ家最盛期であると同時にフィレンツェ・ルネサンス最盛期をつくり出した男である。政治感覚にも秀で,ミラノ公国…

ブルネレスキと丸~ドイツからイタリアへ㉜~

サン・ロレンツォ教会には,新旧二つの聖具室がある。旧聖具室はブルネルスキが,新聖具室はミケランジェロが設計した。まぁ豪華なのはミケランジェロの方だが,旧聖具室では面白いものがみられる。ブルネルスキに設計を依頼したのがジョヴァンニ=ディ=ビ…

メディチ家登場~ドイツからイタリアへ㉜~

フィレンツェの街歩きに出かける。大雑把に北から南下する形で駅前からローマ門に向かってフィレンツェを縦断する。まずはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会から東にサン・ロレンツォ教会へ向かう。途中の小さな通りには所狭しと革製のバッグ・ベルト・ジャケ…

技術と芸術~ドイツからイタリアへ㉛~

ルネサンスは単に古典古代の模倣や復活だけでなく,精神的な面として個人・個性・感情・人間性の追求が不可欠になってくる。人文主義という言い方をする。これまでの中世の追求の対象は「神」であった。「神」の反対語は何か。それが「人間」であった。 英語…

フィレンツェ~ドイツからイタリアへ㉚~

当時私は大学で美学を専攻していた。美学史の中でもルネサンスは花形で,「ルネサンス」という語を定義づけた人物としてスイスのヤーコプ=ブルクハルトという人物が授業でよく紹介された。その著書「イタリア・ルネサンス文化」は手に入れやすく,必読書で…

花の都~ドイツからイタリアへ㉙~

フィレンツェを「続・地名語源辞典」(校倉書房)を広げてみると 英語ではFlorenceという。ラテン名はFlorentiaで「花のような,豪華な」の意 とある。ローマ神話の女神フローラが由来で,フローラは花の女神。「花の都」と形容される街は古今東西あまた存在す…

斜塔の街~ドイツからイタリアへ㉘~

橋をわたってもう少し北へと歩くと,突然開けた場所に出る。その見事に整えられた芝生の真ん中に白亜がまばゆいピサ大聖堂と斜塔が建っている。11世紀から13世紀の長期にかけて断続的に建設された。ちょうどこのころは十字軍の遠征期にあたる。十字軍は他の…

ガリレオの街~ドイツからイタリアへ㉗~

ピサはウェルギリウスの『アエネイス』にも「都市」として登場(第10巻179行)している。それが本当だとしたら4つの海洋国家の中ではもっとも歴史が古い。少なくともウェルギリウスが生きた紀元前1世紀には都市として栄えていたということだ。ただヴェネチア・…

ジェノヴァ・ピサ経由~ドイツからイタリアへ㉖~

フィレンツェに向かう。ミラノからフィレンツェまではボローニャを経由する直通の特急がある。トマスクック時刻表には「R」つまり「reservation(予約)」のマークがなかったが,特急ということで予約が必要か。その辺りを歩いている駅員さんに聞いてみた。二…

『ひまわり』~ドイツからイタリアへ㉕~

ミラノである。世界的な観光都市である。ファッションの最先端をいく都市である。何事か観光ガイド的な紹介を期待するかも知れない。私にとってこの都市は通過点の1つに過ぎなかった。何しろ今では誰しも足を運ぶサンタ=マリア=デッレ=グラツィエ修道院に…

イタリアの洗礼~ドイツからイタリアへ㉔~

いよいよイタリアに向かう。この日の目標はミラノ。チューリッヒからミラノまでは列車で約4時間。アルプスを越えていくのだから,ゆったりとしたスピードで風景を楽しめる。2等自由のユーレイルパスをもっているので実際に料金がいくらかはわからない。ただ…

血の輸出~ドイツからイタリアへ㉓~

スイス兵の強さと勇敢さは古代からよく知られていた。カエサルの8年間に及ぶガリア遠征はヘルウェティ族が最初の要因であった。ヘルウェティ族とはスイスの先住民である。 ヘルウェティ族も他のガリー人にくらべれば武勇がすぐれ,毎日のようにゲルマニー人…

永世中立国~ドイツからイタリアへ㉒~

スイスの州はカントンとよばれる。カントンごとに憲法・三権(立法・行政・司法)の府をもっている連邦国家である。防衛・外交上の権限は連邦政府にあるということを除けば,共和政の枠内で国家形態を自ら自由に決定することができる主権国家並みである。イニ…

ルツェルンのテル~ドイツからイタリアへ㉑~

ルツェルンはチューリッヒから鉄道で1時間ほどのところにある。日帰りで行ける。ルツェルンにはルツェルン湖がある。このルツェルン湖の周辺から現在のスイスが始まった。スイス発祥の地といってよい。14世紀,ルツェルン湖を取り巻く,ウーリ,シュヴィーツ…

バーゼルであれこれ~ドイツからイタリアへ⑳~

ホルバイン追記 イエスを神性から解き放ち,「神は存在するか」を問いかけた日本の作家もいる。遠藤周作である。「白痴」のホルバインを見に来て,遠藤の『沈黙』を思い出した。物語のクライマックス,日本に潜伏していたポルトガル人司祭ロドリゴの絵踏みの…

バーゼルのイエス~ドイツからイタリアへ⑲~

チューリッヒから列車で1時間半のところにバーゼルという都市がある。現在はここバーゼルでフランス・ドイツ・スイスの三国が接している。地図によると三国国境は中央駅から北に約5㎞,少し離れたところにある。途中寄り道しながらのんびりと歩いていくこと…

4つの言語~ドイツからイタリアへ⑱~

スイス観光の拠点となる宿を探す。次の日もその次の日も鉄道を利用するので,宿は中央駅に近いところで探す。チューリッヒ中央駅から延びる路面電車の線路沿いに歩いた。縦横に伸びた路面電車に電気を供給する電線が両サイドの建物からの蜘蛛の巣をはったよ…

スイス銀行~ドイツからイタリアへ⑰~

スイスの首都はベルンというところにあるが,チューリッヒはスイス最大の都市といってよい。「Zurich」と綴って,英語だと「ズーリック」という発音になる。「-ch」を「ヒ」と発音するのはドイツ語の特徴で,スイス北部,ドイツに近いこの辺りはドイツ語圏で…

ハイジの村~ドイツからイタリアへ⑯~

ブフスを出発した列車はまもなくザルガンス(Sargans)に着く。ここで降りる。ローカル線に乗り換えて10分もしないうちにマイエンフェルト(Maienfeld)という小さな町,というより村に到着する。ここがこの日の本当の目的地であった。下車する人は他になく,周…

リヒテンシュタイン公国~ドイツからイタリアへ⑮~

ドイツに別れを告げてスイスのチューリヒに向かう。向かうのだがまっすぐチューリヒを目指しても面白くないので,前夜トマスクック時刻表をながめながら少し遠回りしてオーストリア経由のルートを思い立った。 オーストリアはそもそも旅程にはなかったが,こ…

ドラキュラに会いに

今年度の仕事が一段落ついたので,今年も10日ほど海外に渡航する。今年は,ルーマニアをメインに,ブルガリア,セルビア(行き帰りにハンガリー,オーストリア)を回る。 ルーマニアとブルガリアの陸路国境は,今年の1月1日より正式に入国審査がなくなった。パ…

ダッハウ~ドイツからイタリアへ⑭~

ミュンヘン中央駅に戻り,午後はダッハウへ向う。Sバーン(S2線)とよばれる近郊ローカル線にのる。ダッハウ駅まで約20分。駅前のバス乗り場からバスにのって約10分。ダッハウ強制収容所に着く。英語表記で「concentration camp」と書かれている。「強制収容所…

ミュンヘン~ドイツからイタリアへ⑬~

ミュンヘンに行く。アウグスブルクからミュンヘンまでは鉄道で1時間以内に着く。ミュンヘン中央駅はターミナル駅,つまり終着駅である。ミュンヘンはベルリン,ハンブルクに次ぐドイツ第3の都市で,バイエルン州の州都であるだけあって,さすがに駅構内の広…

ネロ指令~ドイツからイタリアへ⑫~

ルートヴィヒ2世についてはヴィスコンティが監督した『ルートヴィヒ 神々の黄昏』(1972)という映画がある。私が見た当時,VHSのビデオテープで2本組みの大作であった。その長さは約4時間。これといったクライマックスもなく,ただ淡々とルートヴィヒ2世の即…

ノイシュヴァンシュタイン~ドイツからイタリアへ⑪~

ノイシュヴァンシュタイン城の主はルートヴィヒ2世(1846-88)。彼が幼少期を過ごしたのが,彼の父が改築したホーエンシュヴァンガウ城であった。父マクシミリアン2世がこの城を購入したとき,城の名はシュヴァンシュタインといった。シュヴァンは「白鳥」意味…

ブルクとシュロス~ドイツからイタリアへ⑩~

歩道は迷うことなくホーエンシュヴァンガウ城の麓まで続く。ここに観光客用の駐車場があり,お土産物屋,食堂などが軒を並べている。ノイシュヴァンシュタインへの山道の入り口だ。 ドイツ語では城を表す言葉が2つある。1つは「ブルク(burg)」である。「ブル…

フュッセン~ドイツからイタリアへ⑨~

翌朝,食堂兼宿屋の1階で朝食をとる。いわゆるコンチネンタルブレックファスト。ヨーロッパ大陸の簡素な朝食である。コーヒーにパン。しかしこのパン,見たことも食べたこともないような,そして食べきれるはずのない量。そして何よりジャムの種類の豊富なこ…

宗教改革~ドイツからイタリアへ⑧~

フッガー家の融資先は神聖ローマ皇帝だけでない。ローマ教皇庁も大のお得意様であった。16世紀初頭は宗教改革の時代でもある。ご当地ルターがローマ教皇庁の発行する贖宥状(免罪符)に対して「95ヶ条の意見書」を出したのが1517年のことであった。 贖宥状とは…

フッガー家~ドイツからイタリアへ⑦~

南ドイツのような内陸地が中世ヨーロッパにおいて大きな商業圏を形成できた背景にはイタリアの商業交易都市ヴェネチアの存在があった。ドイツは当時最大の香料,とくに胡椒の大消費地の1つであった。中でもヴェネチアは東方貿易で得た胡椒などの物産をドイ…

アウグスブルク~ドイツからイタリアへ⑥~

リューデスハイムからマインツまでの短い間,ライン川は東から西へと流れる。この間川の西岸は南岸となり,東岸は北岸となる。私は今まで川の西岸を遡って列車に揺られていたため,しばらくの間対岸となる北岸の風景を眺めながら東へと進むことになる。そし…