You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

東海道をゆく⑦~第五宿:戸塚宿~

佐野の馬 戸塚の坂で二度転び 川柳 JR戸塚駅西口から西に歩き,国道1号線に出たところで南に左折。国道沿いに徒歩10分圏内に碑が所々建つのみ。羽黒神社あたりが目印,この辺りにあったのが澤邊本陣。旧国ではここから相模国に入る。相模国といえば鎌倉であ…

東海道をゆく⑥~ちょっと寄り道 京急本線・久里浜線~

本日天氣晴朗ナレドモ浪髙シ 戦艦三笠より打電 浦賀 京急本線は浦賀駅が終着駅であるが,黒船来航地へは堀ノ内で久里浜線へ乗り換え,久里浜駅で下車する方がよい。このことを知らなかった,土地に不案内な私は一端浦賀まで出てから,引き返すという羽目にな…

東海道をゆく⑤~第四宿:保土ヶ谷宿~

「今,何刻でぇ?」『時そば』(落語) 江戸時代,いわゆる現在の横浜は街道沿いの街として存在しなかった。ゆえに東海道第4の宿場は横浜駅(京急・JR)を過ぎて,JR保土ヶ谷駅に飛ぶ。駅前からJR線,国道一号線にかけて保土ヶ谷宿跡の数々の碑が見られる…

東海道をゆく④~第三宿:神奈川宿~

「神奈川という名が付いているが,どこにも川はない。」 『江戸参府旅行日記』ケンペル 神奈川県の名は,この付近にあった神奈川湊が元になっており,港町として古くから栄えた。地名語源辞典(山中襄太著 校倉書房)によると,神奈川の名は文字通り川が語源で…

東海道をゆく③~第二宿:川崎宿~

六郷渡れば川崎の 万年屋 鶴屋と亀屋が米饅頭 『お江戸日本橋』(民謡) www.youtube.com 多摩川を渡ると神奈川県(川崎市)に入るが,旧国でいうとまだ武蔵国である。多摩川は江戸防衛の最後の要害であった。そのため17世紀末から明治期に入るまで東海道にも橋…

東海道をゆく②~第一宿:品川宿~

「わたくしも十六になります。」 八百屋お七 『好色五人女』井原西鶴 江戸日本橋を出立して,東海道第一宿が品川宿。 品川宿から旧東海道を南に下り,大井競馬場の近くに大経寺というお寺がある。かつてここに鈴ヶ森刑場があった。江戸初期,由比正雪の乱(16…

東海道をゆく①~発端序:日本橋~

難波江のよしあしくとも旅なれば おもひたつ日を吉日とせん 『東海道中膝栗毛 発端(はじまり)』(十返舎一九) まづそのとしはめでたき春をむかへて きさらぎ(二月)のなかばより いせさんぐう(伊勢参宮)とおもひたち 東海道へと出かけける 江戸八丁堀(現東京都…

アプサラの夜~カンボジア⑰~

シェムリアップ最後の夜はホテルでアプサラダンスのショーを見ることにした。席の予約をホテルの日本人スタッフの那須さんにお願いした。行ってみると最前列中央の特等席を用意して頂いた。ディナーはビュッフェ形式である。 アプサラダンスはクメール(カン…

トンレサップのベトナム人~カンボジア⑯~

車からボートに乗り換える。乗り換えるのは,湖に流れ込む川岸からである。喫水の浅い細長の屋形船のような小型のボートが所狭しと並んでいる。乾季には湖の水深が1mになってしまうらしい。喫水の深い大きな船はここでは役に立たない。みな一様に明るいブル…

禁じられた米~カンボジア⑮~

アンコール朝が衰退すると,灌漑施設の整備も荒廃する。自然,この地域の稲作は周期的に訪れる雨季を待つしかなくなった。つまり浮稲栽培である。浮稲は自ら水位に合わせて成長するので,種子に回る栄養が少なくなる。手間はかからない反面,収穫量が少ない…

トンレサップへ~カンボジア⑭~

トンレサップ湖に行くことにした。シェムリアップの南に位置する東南アジア最大の湖である。「トンレ」は「川」,「サップ」は湖の意味であり,湖から流れ出る川はトンレサップ川という。トンレサップ川はやがてプノンペンでメコン川と合流する。 カンボジア…

カンボジアのシルク~カンボジア⑬~

国立博物館 タ=プロームからシェムリアップ市内へ戻り,ホテルの北側にある国立博物館で降ろしてもらった。少しチップをつけて代金を渡すと,合掌し,それまで厳しい顔つきを崩さなかったバイクのおじさんは微笑返し。英語で「トンレサップ,オールドマーケ…

タ=プロームでジョン=ヴォイト~カンボジア⑫~

この日の午前中はタ=プロームにいく。タ=プロームはシェムリアップ川を挟んでアンコール=トムの東に位置する。この日はホテル前でトゥトゥクを拾って出かけた。二人で往復15$。少し高い気もしたが,距離的にも納得して乗り込んだ。 タ=プロームはアンコ…

猿と蝙蝠と人と~カンボジア⑪~

アンコール=ワット③ 寺院の境内にはあちこちでサルをみかける。この地域の遺跡ではよくみかける光景である。サルはヒンドゥー教では聖獣とされている。猿の王ハヌマーンは,ヒンドゥー聖典でもある『ラーマーヤナ』でラーマ王子を助ける重要なキャラクター…

祇園精舎を夢見た人々~カンボジア⑩~

アンコール=ワット② 実は仏教寺院となったアンコール=ワットに,鎖国前の江戸時代の日本人が訪れている。鎖国以前,日本は朱印船貿易をおこなっていた。朱印船とは朱印状をもつ船のことで,朱印状とは海外渡航の許可証である。目的地は東南アジア各地であ…

アンコール=ワット~カンボジア⑨~

アンコールワット① 午後,きっちりと雨が降った。傘は役に立ちそうにないどしゃぶりの雨である。夕方,雨は少し残っていたが,明るいうちにアンコール=ワットに向かった。アンコール=トムの南,いくらも離れていない場所にアンコール=ワットはある。アン…

ライの王~カンボジア⑧~

アンコール=トム③ バイヨンのすぐ北にあるバプーオンという遺跡。11世紀,ジャヤヴァルマン7世以前であるのでヒンドゥー寺院である。入口から寺院まで円柱列に支えられた「空中参道」を渡っていく。200mほどある。 バプーオンの北側はアンコール朝の歴代王…

廻る時間,進む時間~カンボジア⑦~

アンコール=トム② バイヨンの東側に象乗り場がある。象に乗るなどめったにないことなので,せっかくだから乗ることにした。象はバイヨンを一周する。象に揺られながら全方向,高い位置からバイヨンを見物できのだが,やはりというか,ところどころに崩れた…

クメールの微笑み~カンボジア⑥~

アンコール=トム① その日はホテルで車をチャーターし,アンコール=トムとアンコール=ワットを訪れることにした。車の手配は前日にホテルスタッフの那須さんにお願いした。熱帯の雨季では昼から雨が降り,暑さと相まって屋外を回るのは得策ではない。日が…

クメール~カンボジア⑤

カンボジアのシェムリアップは世界遺産アンコール=ワットの町である。アンコールはクメール人が樹立した王朝である。このクメール人がカンボジアの多数を占める民族であり,カンボジア語とはクメール語のことであり,そしてクメール文字がクメール語を表記…

ラッフルズ・グランドホテル・ダンコール~カンボジア④~

空港を出た車は,大通りをまっすぐ進む。地図には国道6号線とある。片側二車線でよく整備されている。ホテルに近づくにつれ,車も増えてくるが渋滞するほどではない。道路の両側には,時折,門構えが立派な建物を見かけるが,おそらくそれらはみな外国人向け…

カンボジアへ~カンボジア③~

カンボジアの入国にはビザが必要となる。空港でも取れるということだが,入国で手間取るのは嫌なので,あらかじめ日本で取得しておくことにした。幸い大阪在住の私は,通勤途中の梅田に在大阪カンボジア王国名誉領事館というのがある。申請用紙(パソコンでダ…

殉職~カンボジア②~

1980年代も末,米ソ冷戦が終結へと動く中,国際社会はカンボジア和平にも協力した。1990年,カンボジア和平会議が東京で開かれ,翌年のパリ会議で内戦当事者の四派が和平に同意する。PKO(平和維持活動)として国連がカンボジア入りし,UNTAC(国連カンボジア暫…

キリングフィールド~カンボジア①~

ランキング参加中旅行 ランキング参加中歴史 ランキング参加中映画 「この夏はカンボジアに行こう。」その夏そう思い立って,ポンちゃんに話すと,いつもと違ってその返事は快いものではなかった。たいていどこへでも,私に付いてきたがる彼女であったが,「…

終着駅 不倫映画はお好き?~ドイツからイタリアへ㊴~

朝の急行でローマに向かう。着いたのはローマ・テルミニ駅。「テルミニ」は英語の「ターミナル」である。日本語では「始発駅」あるいは「終着駅」であるが,「始発駅」ではあまり趣がない。「終着駅」というと,文学作品や映画のタイトルにもなりそうで感じ…

ルネサンスの黄昏~ドイツからイタリアへ㊳~

ウフィツィ美術館をアルノ川沿いに出ると世界でもっとも有名な橋の1つポンテ・ヴェッキオが見える。「ヴェッキオ」というイタリア語はよく耳にする単語であるが,「古い」という形容詞である。「ポンテ」は「橋」だから特別な名前ではなくて「古い橋」となる…

ウフィツィ~ドイツからイタリアへ㊲~

ロッサ通りを東に進むとシニョーリア広場が見えてくる。フィレンツェ観光のもう一つの中心地ヴェッキオ宮殿が建つ。何度もいうようであるが,日本人がイメージする宮殿ではない。故に邸宅と訳してきたが,ヴェッキオ宮殿は市庁舎という方がふさわしい。ここ…

フィレンツェとギルド~ドイツからイタリアへ㊱~

紋章を見たあとこのまま南へ向かうと共和国(レプブリカ)広場に出るが,広場を過ぎるとカリマラ通りに入る。入るとすぐに羊毛を取り扱う職人・商人のギルドがあった邸宅が残っている。イタリアのギルドはアルテと呼んだということはすでに触れた。アルテとは…

メディチ家教皇~ドイツからイタリアへ㉟

サヴォナローラののちメディチ家は,ピエロの跡をロレンツォの二番目の息子ジョヴァンニが継いでいた。このジョヴァンニ,16歳の若さで枢機卿の地位を得ている。もちろん親の七光りである。ジョヴァンニはフランスの大敵ハプスブルク家の援助を受け,1512年…

ジロラモ=サヴォナローラ~ドイツからイタリアへ㉞~

ここにサヴォナローラという修道士が登場する。ジロラモ=サヴォナローラは,ロレンツォ存命中からフィレンツェで説教をおこなっていた。その内容は政治と信仰の腐敗,つまりはメディチ家への批判である。ロレンツォの死後,着実に信奉者を増やしていったサ…