フランス
ヴェルダン駅から,ドゥオモン要塞とそれに隣接する納骨堂に向う。駅を出たところに止まっていたたった一台のタクシーは,私とは別の車両にのっていた婦人に先を越された。戻ってくる次のタクシーを待つべきか・・・。今とはちがって日曜のカトリックの国の…
1916年2月,ここヴェルダンでドゥオモン要塞を巡って第一次世界大戦最大の会戦が繰り広げられた。侵攻してきたドイツ軍をフランスが迎え撃つ。しかしドイツは一方でロシアとの戦いも強いられていたため,ヴェルダンの戦いは12月に終結する。結局両者とも戦前…
ロレーヌ地方に向う。ナンシー,メッスといった町がこの地方の中心地で,私が中学生のころは鉄鋼業と都市として学んだ。良質の鉄鉱石が産出され,フランスだけでなく,隣国のルクセンブルクやベルギー,そしてドイツの鉄鋼業をも支えた。フランスに産業革命…
アルザス地方のドイツをみたければコルマールにいくとよい。ストラスブールから南西に列車で小一時間のところにある小さな町である。ここはアルザス地方では珍しく戦火にほとんどあわなかった。そのため木枠造りの古い町並みがそのまま保存されている。赤屋…
大聖堂をあとに,その足をさらに西へと進めてみる。少し時間がかかるがやがて大きな川に出る。ライン川,向こう岸はドイツである。いくつか橋がかかっているようだが,私が訪れたときはまだ橋の通過にはパスポートが必要だった。現在は出入国管理はおこなわ…
ストラスブールの駅を降りると目の前に大きな広場がある。広場中央の道を真っ直ぐ進み橋をわたって大通り沿いに進めばグーテンベルク広場に出る。1450年ごろ,活版印刷術を発明したといわれるグーテンベルクが印刷物を手にした像が建っている。前にも話した…
ドーデの『最後の授業』は私と同世代の人は懐かしい思い出だろう。小学校の国語の教科書に載っていた短編だが,これほど皆がよくおぼえている外国文学も珍しい。知らないひとのために簡単にあらすじを話すと,ちょうど普仏戦争が終結したアルザスのある少年…
ストラスブール。いわゆるアルザス=ロレーヌ地方に足を踏み入れる。フランス東部のアルザスとロレーヌ両地方は現在ドイツと国境を接する地方である。アルザスの方が東側にあり,ライン川によってしっかりとドイツと接着している。その中心地がストラスブー…
リヨンからルピュイという町を訪ねる。「ピュイ」とはフランス語で「丘」を意味する。リヨンからルピュイまではサン=エチエンヌで乗り換えてローカル線で2時間半。降りるとその町名に納得する。むき出しの岩山が地面から突き出している。それだけではない,…
リヨンはローヌ川とソーヌ川が合流する地点に位置し,両川に挟まれている。日本では長良川と木曽川に挟まれた岐阜県羽島市がちょうど同じような形をしている。ローヌ川の定冠詞はleだから男性名詞,ソーヌ川はlaで女性名詞,リヨンはローヌとソーヌという両…
駅からの通りはやがて狭い路地へと変わり,そのまま進むと広場に出る。教皇庁宮殿前である。正面玄関であろうか,すぐ目に付くのが壁から迫り出した二本の尖塔である。まるで悪魔の角のように威圧的である。その門は建物の規模からすると低く狭く,外観は「…
再び列車に乗ってアルルからアヴィニョンまで20分。アヴィニョン中央駅を出るとすぐに城壁が待ち構えている。この城壁を越えてまっすぐ北に向う大通りを進んでいけば目的地に辿り着く。目的地とはローマ教皇庁のことである。ローマ教皇はカトリックを教会統…
マルセイユからどこに向うか悩んだが,海岸沿いを東に向い,ニース,カンヌ,モンテカルロといったコートダジュール(紺碧海岸)はあこがれの地でもあった。中学時代によく聞いた歌にシャリーンの『愛はかげろうのように』という曲がある。かなり大人な曲だが…
カヌビエール通りを抜けると,マルセイユの顔というべきベルジュ埠頭に出る。所狭しとヨットやクルーザーが停泊している。埠頭には朝から漁師がとってきた新鮮な魚を売る朝市が立つようだが,私の行った午後の時間帯にはもう魚を売る人は1人もいなかった。 …
マルセイユのサンシャルル駅は町を見下ろす高台にある。ホテルは駅のすぐ隣にあるArcadeというところにすぐに決まった。(現在はIbisホテル)駅至近にホテルをとるのは,列車移動に便利なのと,駅には食堂が集まっているため,食いっぱぐれることがないからで…
フランス第二の都市マルセイユは,フランス最大の港湾都市でもある。日本ではちょうど横浜にあたりそうだが,姉妹都市になっているのは神戸である。紀元前6世紀には古代ギリシャ人の植民地として築かれた。その当時はマッシリア(マッサリア)とよばれた。ギリ…
パリ・リヨン駅は文字通りリヨンへと向う駅であるが,中部リヨンだけでなく,フランス南部各地へ旅行者を誘う玄関口である。ここからTGVでマルセイユに向う。1993年,初TGVであった。TGVは「高速鉄道」のフランス語略称で,フランス版新幹線だと思ってよい。…
オルレアンからロワール川に沿って古城を巡る。ブロワ城,シャンボール城,アンボワーズ城,シュノンソー城。一般にロワール川の古城の中で最大のみどころはフランソワ1世とレオナルド=ダ=ヴィンチの因縁があるシャンボール城であろうが,もっとも華麗な出…
オルレアンから西へはロワール川沿いに車を進める。途中レストランで昼食をとるがここまで来ると英語がまったく通じなかった。30年以上前の話である。習ったばかりの初級フランス語を駆使して尋ねてみた。「Je peux manger?(食べることができますか)」正しい…
車を借りて,パリ郊外へと出る。目指すはロワール川の古城であるが,まずはフォンテーヌブローに寄り道する。19世紀半ば,フランスでは印象派が誕生する前段階に,自然主義・写実主義とよばれる絵画が生まれた。パリ南部郊外のフォンテーヌブローや隣村の…
サンジェルマン通りとサンミシェル通り,2つの大通り(ブルヴァール)が交差するあたり,この周辺はカルチェラタンとよばれる学生街である。「カルチェ」は地区,「ラタン」は「ラテン」を意味する。かつてヨーロッパの学問語であったラテン語が話される地区と…
セーヌ左岸に宿泊したのは,ロンドンから鉄道で海峡を越えてパリに立ち寄ったときであった。到着駅パリ北駅からRER:B線でシテ島向いのサンミシェル・ノートルダム駅で降りる。翌日はシャルル=ドゴールから空路帰国する予定であったため,空港へ直通するB…
シテ島のもっとも西側,つまり下流にかかっている橋がポン・ヌフ。これもまた私の勘違いで,「ヌフ(neuf)」はフランス語で数字の「9」なので「第9橋」だと思い込んでいた。事実シテ島とセーヌ両岸は9本の橋でつながっている。しかし「neuf」にはもう1つ「新…
ヴィクトル=ユーゴーといえば『レ・ミゼラブル』。『レ・ミゼラブル』といわれても,フランス語が分からないとタイトルから伝わってくるものはない。私が小学生だったころ,図書室には『ああ,無情』という題で小学生用に編集されたものがあった。「無情」…
主要都市の大聖堂がそうであるように,パリの大聖堂もまた「聖母マリア」に奉献されている。フランスの民衆はこれらの教会を,親しみを込めて「われらが婦人」つまり「ノートル・ダム」とよんだ。「われら」の部分が単数形になると「マ(ma)」となり,「マ・…
シテ島とその隣のサン=ルイ島はセーヌ川の中洲の島で,ここがパリ発祥の地である。ユリウス=カエサルの『ガリア戦記』ではガリア人(ケルト人)のパリシィ族がこの周辺に住んでいたことが記され(第6・7巻),このパリシィ族が「パリ(ス)」の語源となった。 (f…
「パリの空の下セーヌは流れる」というフレーズは,フランス映画(1951)からである。映画の主題歌『パリの空の下(Sour ciel de paris)』はだれもが耳にしたことがあるシャンソンの代表選手である。シャンソン界の大御所エディット=ピアフはじめ,多くのフラ…
メトロ1号線の旅,最後はパリ・リヨン駅である。リヨン駅のリヨンはフランスの地名。中部のリヨンや南部のマルセイユに向う列車が発着するためリヨン駅の名が着いた。 リヨン駅もまた旅情をかきたてられる駅の1つである。北部のドーバー海峡の町カレーでイ…
今でもあるのだろうか。メトロにはカルネという回数券があった。メトロの運賃は一律同じなので,1回乗るごとに回数券の束から一枚ちぎって使う。回数券といっても当時は切符大のブルーの厚紙だった。日本と比べるとそのクオリティの低さに唖然とした。今と…
パリ市庁舎。オテル・ド・ヴィル(hotel de ville)というがホテルではない,市役所の意味である。市庁舎はルネサンス様式。ルネサンス自体が古代ギリシャ・ローマの再生にあったから,ルネサンス建築が目指すものは古代建築ということになる。これまでに発展…