2024-01-01から1年間の記事一覧
ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイに…
ベトナム戦争について簡単に話しておかなければならない。 19世紀末からベトナム・ラオス・カンボジアの三国はフランスの保護国となった。これをフランス領インドシナという。保護国とは植民地の体のよい別称である。第二次世界大戦が始まり,宗主国フランス…
「サイゴンに行く。」この都市をつい「サイゴン」と呼んでしまうのは,やはりベトナム戦争の記憶からであろうか。とはいえ私にとってのベトナム戦争は,現実の戦争・戦闘についてのことではない。戦争が終結した1975年といえば,私はまだ小学生にもならない…
奈良県の有名進学校である東大寺学園が今年度より,高校入試の募集を停止した。つまり完全中高一貫校となったわけだ。 様々な社会情勢、経済状況の変化と教育方針の変更などがその背景にあるとのことだが,私として申し上げたいのはただ「惜しい」と一言,そ…
池袋~新宿 上野駅から再び山手線に乗り,池袋で降りる。駅の東側,サンシャインシティを目印に,東池袋中央公園がある。その一画にひっそりと隠れるように「永久の平和を願って」と刻まれた石碑がある。これだけでは何のことか分からないが,さらにその裏側…
御徒町~上野 本郷界隈 御徒町から東大がある本郷界隈を歩く。まずこの「御徒町」が難読である。「おかちまち」と読む。「かち」は「徒士」,「徒歩」であり,騎兵に対する歩兵,つまり下級武士の溜まり場であったことが由来である。山手線御徒町駅で降りて…
聖橋 ニコライ堂を北に,JR中央線お茶の水駅。この辺りの水が茶の湯に適したことから「御茶の水」とよばれたが,目の前の現在の神田川がその名に相応しいかは明言をさける。ただこの辺りが私にとって別の意味で感極まる場所であった。それは『神田川』と『…
神田 神田は古書の街として知られるが,そのさらに中心地神保町は,JR山手線神田駅から西に少し離れている。私からすれば宝島のような場所であるが,いざ何か買うともなると決めきれない。欲しいものを始めからピンポイントで求めないと,宝島は抜け出せな…
半蔵門から靖国神社 最高裁判所を過ぎ,国立劇場を過ぎると皇居側に旧江戸城半蔵門が見える。大手門の正反対の位置にあるこの門は,徳川家康に仕えた服部半蔵正成に因むという。服部半蔵正成は,伊賀国忍者の頭領として大衆文化において絶大な人気を誇る。祖…
旧GHQ庁舎(第一生命日比谷ファースト) 馬場先門跡から再び城外へ出て堀沿いを日比谷方面に向かう。すぐ道沿いに帝国劇場,隣に第一生命ファーストの建物が見える。ここは1945年(昭和20年),終戦後にGHQ(連合国軍総司令部)がその庁舎として接収し,総司令官マ…
旧枢密院(現皇宮警察本部庁舎) 大手門から出て,堀に南へ。再び東御苑の方向へ目を向けると旧枢密院の庁舎が見える。枢密院は戦前,天皇の諮問機関として,大日本帝国憲法草案を審議するために設置された。枢密院議長は内閣総理大臣に次ぐ地位で,初代議長…
江戸城跡(皇居東御苑) 現在,皇居東御苑として一般国民に開放されているのが,旧江戸城の本丸跡とその周辺である。大手門から入場する。 江戸城は徳川将軍家の居城となったことはよく知られているが,築城されたのはそれよりずっと以前のことである。1457年…
平将門の首塚 東京駅から大手門に,途中平将門の首塚を訪ねる。939年,関八州(関東八ヶ国)を束ね,自らを「新皇」と名乗り,朝廷に反旗を翻した平将門の首塚。将門の本拠は茨城県猿島(さしま)であったが,藤原秀郷(俵藤太)らによって打ち取られると,その首…
わがブログの国内編の書き出しをどこから始めようか。迷った挙句,やはり東京から始めることにした。出発は東京駅である。 東京駅 東京駅は1914年に開業。元号でいうと大正3年にあたる。2014年で100周年を迎えた。この年,世界では6月に第一次世界大戦が勃発…
ヴェルダン駅から,ドゥオモン要塞とそれに隣接する納骨堂に向う。駅を出たところに止まっていたたった一台のタクシーは,私とは別の車両にのっていた婦人に先を越された。戻ってくる次のタクシーを待つべきか・・・。今とはちがって日曜のカトリックの国の…
1916年2月,ここヴェルダンでドゥオモン要塞を巡って第一次世界大戦最大の会戦が繰り広げられた。侵攻してきたドイツ軍をフランスが迎え撃つ。しかしドイツは一方でロシアとの戦いも強いられていたため,ヴェルダンの戦いは12月に終結する。結局両者とも戦前…
ロレーヌ地方に向う。ナンシー,メッスといった町がこの地方の中心地で,私が中学生のころは鉄鋼業と都市として学んだ。良質の鉄鉱石が産出され,フランスだけでなく,隣国のルクセンブルクやベルギー,そしてドイツの鉄鋼業をも支えた。フランスに産業革命…
アルザス地方のドイツをみたければコルマールにいくとよい。ストラスブールから南西に列車で小一時間のところにある小さな町である。ここはアルザス地方では珍しく戦火にほとんどあわなかった。そのため木枠造りの古い町並みがそのまま保存されている。赤屋…
大聖堂をあとに,その足をさらに西へと進めてみる。少し時間がかかるがやがて大きな川に出る。ライン川,向こう岸はドイツである。いくつか橋がかかっているようだが,私が訪れたときはまだ橋の通過にはパスポートが必要だった。現在は出入国管理はおこなわ…
ストラスブールの駅を降りると目の前に大きな広場がある。広場中央の道を真っ直ぐ進み橋をわたって大通り沿いに進めばグーテンベルク広場に出る。1450年ごろ,活版印刷術を発明したといわれるグーテンベルクが印刷物を手にした像が建っている。前にも話した…
ドーデの『最後の授業』は私と同世代の人は懐かしい思い出だろう。小学校の国語の教科書に載っていた短編だが,これほど皆がよくおぼえている外国文学も珍しい。知らないひとのために簡単にあらすじを話すと,ちょうど普仏戦争が終結したアルザスのある少年…
ストラスブール。いわゆるアルザス=ロレーヌ地方に足を踏み入れる。フランス東部のアルザスとロレーヌ両地方は現在ドイツと国境を接する地方である。アルザスの方が東側にあり,ライン川によってしっかりとドイツと接着している。その中心地がストラスブー…
リヨンからルピュイという町を訪ねる。「ピュイ」とはフランス語で「丘」を意味する。リヨンからルピュイまではサン=エチエンヌで乗り換えてローカル線で2時間半。降りるとその町名に納得する。むき出しの岩山が地面から突き出している。それだけではない,…
リヨンはローヌ川とソーヌ川が合流する地点に位置し,両川に挟まれている。日本では長良川と木曽川に挟まれた岐阜県羽島市がちょうど同じような形をしている。ローヌ川の定冠詞はleだから男性名詞,ソーヌ川はlaで女性名詞,リヨンはローヌとソーヌという両…
駅からの通りはやがて狭い路地へと変わり,そのまま進むと広場に出る。教皇庁宮殿前である。正面玄関であろうか,すぐ目に付くのが壁から迫り出した二本の尖塔である。まるで悪魔の角のように威圧的である。その門は建物の規模からすると低く狭く,外観は「…
再び列車に乗ってアルルからアヴィニョンまで20分。アヴィニョン中央駅を出るとすぐに城壁が待ち構えている。この城壁を越えてまっすぐ北に向う大通りを進んでいけば目的地に辿り着く。目的地とはローマ教皇庁のことである。ローマ教皇はカトリックを教会統…
マルセイユからどこに向うか悩んだが,海岸沿いを東に向い,ニース,カンヌ,モンテカルロといったコートダジュール(紺碧海岸)はあこがれの地でもあった。中学時代によく聞いた歌にシャリーンの『愛はかげろうのように』という曲がある。かなり大人な曲だが…
私の本サイト「高校入試 社会 虎の巻」の統計のアップデートがほぼ終了した。これがなかなか大変な作業で,資料の読み取りと数値の入れ替え作業に気が遠くなる。 中・高・大と入試問題に使用される統計資料は主に3つ。「日本国勢図会」,「県勢」,「データ…
「高校入試 社会 虎の巻」をご利用いたたぎ,さらに拙作「要点整理」をご購入いただいた保護者様から,合格メールをいただきました。ご紹介させていただきます。 M様(北海道 公立高校合格) その節は大変お世話になりました。 主に「基礎・応用編」から私が子…
カヌビエール通りを抜けると,マルセイユの顔というべきベルジュ埠頭に出る。所狭しとヨットやクルーザーが停泊している。埠頭には朝から漁師がとってきた新鮮な魚を売る朝市が立つようだが,私の行った午後の時間帯にはもう魚を売る人は1人もいなかった。 …