You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

シャルル・ド・ゴール=エトワール駅~メトロ1号線①~

 「メトロ」が「地下鉄」を意味する語であるのは,フランス由来である。もともとは都市そのものを表すギリシャ語の「メトロポリス」からきているが,メトロという一語をもって大都市の動脈を象徴するようになったのはパリ一号線が最初である。1900年のパリ万博にあわせて敷設されたこの沿線は,パリの歴史の表舞台を繋いでいるため,「パリの歴史軸」ともよばれている。

 凱旋門にいってみることにする。凱旋門はTriumphal Arch,勝利を称える門である。古代ローマからの風習で,パリの凱旋門はナポレオンがアウステルリッツの戦い(1805)の勝利を祝して建造させた。ナポレオンは1804年に帝位に就いているが,ヨーロッパにおいて皇帝とはローマ皇帝を意味しているのだ。

 実際に完成したのは1836年。その後,流刑地セントヘレナ島で遺骸となって帰国を果たしたナポレオンはようやくこの凱旋門をくぐることができた。1852年,ナポレオンの甥ルイ=ナポレオンがクーデターによって第二帝政を始める。ナポレオン三世である。彼はセーヌ県(パリ県)知事のオスマンに命じ,パリ市の大改造を実行に移す。道路網と上下水道の整備が徹底的に行われた結果,現在我々が目にするパリが出来上がった。

 凱旋門には放射状に十二本の道が整備された。シャンゼリゼを含めて12本の道はすべて,凱旋門を目指すAvenue(アヴェニュー)である。夜になってライトアップされた凱旋門と12本の道路はまるで星が輝くようであることから,この凱旋門はエトワール凱旋門(エトワールはフランス語で「星」)ともよばれる。

レマルクの『凱旋門』は第二次世界大戦が勃発する直前のパリを舞台にした作品であった。凱旋門は「勝利」を象徴する建物であるが,その「勝利」を手にするはだれか,どの国かはっきりと描かれてはいない。わたしの好きなイングリッド=バーグマンを主演女優として映画化(1948)された。

 小説の中でところどころ使われているフランス語が若き日の私には新鮮であった。「ビストロ」なんて言葉はそのころ日本ではほとんどなかったろうし,ましてや奈良の田舎には本物のフランス料理店などみたこともなかった。母などは料理用ワインを使えばみなフランス料理とよんでいた。

 未成年ながらお酒の知識も豊富に得た。そのころのお酒の知識はレマルクの『凱旋門』とヘミングウェーによるものが大きい。大人になるのが待ち通しかった。

「カルヴァドスを2つ」

「それからチェスターフィールドを1つ」

(『凱旋門』レマルク 山西英一訳 河出書房)

 はじめは何の事かわからなかったが,未知の横文字に痺れた。小説の中でこの台詞だけは今もよく覚えている。ワイン,シャンパン,サンザノ(チンザーノ),アブサン,ブランデーそしてカルヴァドス。カルヴァドスはフランス北西部,ノルマンディー地方で作られるリンゴのブランデー。この小説がきっかけで爆発的に売れたらしい。小説のようにパリに行ったらビストロでカルヴァドスをダブルで注文するのが夢であった。そんな私であるが,近ごろではパリにいってもビールである。