You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

コンコルド駅~メトロ1号線④~

 シャンゼリゼの終点にはオベリスクが建っている。その周囲はコンコルド広場とよばれている。オベリスクとは古代エジプトの神殿などに建てられた記念碑である。エジプトのルクソールで対になって建っていたものの一本を,19世紀の中ごろ,エジプト国王ムハンマド=アリが贈った。

 コンコルドとは「調和」・「協調」・「融和」を意味するが,それとは裏腹にこの広場はある恐ろしい歴史と関係がある。フランス革命の際,ルイ16世と王妃マリーアントワネット,ダントン,シャルロット=コルデーらがギロチンによって処刑されたのがこの広場であった。

 ギロチンつまり断頭台は,ギヨタンというこの処刑具を発明した人物の名前からきている。それまでの処刑は絞首刑や大きな刃物による首の切断(一撃とはいかない),残酷なものでは車ざきや火あぶり(宗教上,教義に反した者)などであった。苦しめることも罰の目的であり,その苦痛は想像を絶する。

 一方で,ギロチンは見た目の恐ろしさとは反対に苦痛を与えずに済む人道的な処刑具として登場した。「首筋に軽いさわやかさを感じたかと思うと,一瞬にして終わる。」ギヨタンのプレゼンテーションがこれだった。 最初のギロチン処刑がおこなわれたとき,あまりにあっけなく終わったのをみた野次馬はがっかりして,「極悪人を見送るにゃ,やっぱりなじみの首くくり」と小唄を口ずさんでいたという。

 本当におそろしいのは,ギロチンではなく革命自体であったのかもしれない。ジャコバン派が政権を掌握すると,マクシミリアン=ロベスピエールはいわゆる「恐怖政治」を開始する。フランス語で「テルール」は,「テロ」の語源ともいわれる。この政治ではギロチン以外も含めて約2万人が処刑され,当のロベスピエール自身もクーデター(テルミドール反動)によって自らギロチンの犠牲になる。

 フランスでは1977年まで処刑にはギロチンが用いられた。フランスの名優アラン=ドロンとジャン=ギャバンとのタッグで撮られた『暗黒街の二人』(1973)のラストシーン,アラン=ドロンがギロチンにかけられ処刑される。あまりにも淡々とその儀式は進められ,首が据えられかと思うと,次の瞬間に刃が落とされる。躊躇ないその一瞬,呼吸が止まりそうになる。

 フランス革命が掲げた「自由・平等」は,その後のヨーロッパを大きく変えることになったが,本来「自由」と「平等」は相反するものである。自由が過ぎると平等は踏みにじられ,平等は自由を制限する。2つは基本的人権の両輪ではあるが,これを巧くつなげる軸に「博愛(友愛)」が充てられた。自由と平等を調和するのが博愛というわけである。現在「自由・平等・友愛」はフランス共和国の標語となっている。

 テルミドールの反動によって一連のフランス革命は終焉したといわれる。翌年(1795年),革命広場とよばれたこの広場はその血なまぐさい歴史を拭うがごとくコンコルド(調和)広場と改名された。