シャンゼリゼの終点にはオベリスクが建っている。その周囲はコンコルド広場とよばれている。オベリスクとは古代エジプトの神殿などに建てられた記念碑である。エジプトのルクソールで対になって建っていたものの一本を,19世紀の中ごろ,エジプト国王ムハン…
フランクリン=ルーズヴェルトもクレマンソーも人名である。前者は第二次世界大戦で連合国を勝利に導き,フランス解放に大きく貢献したアメリカ大統領であり,後者は第一次世界大戦時のフランス首相である。 シャンゼリゼとモンテーニュ通りが交差するフラン…
1873年(明治6年)のことである。日本から岩倉具視を代表とする遣欧使節団がパリを訪れる。その子細は久米邦武による『米欧回覧実記』に記されているが,久米がみた凱旋門やパリの姿と我々がみるパリの姿は基本的にはそれほど違いはなさそうである。 「100年ほ…
「メトロ」が「地下鉄」を意味する語であるのは,フランス由来である。もともとは都市そのものを表すギリシャ語の「メトロポリス」からきているが,メトロという一語をもって大都市の動脈を象徴するようになったのはパリ一号線が最初である。1900年のパリ万…
ミラボー橋からエッフェル塔に向ってセーヌ川沿いを上流へと歩く。ミラボー橋の1つ上流の橋はグレネル橋。グレネル橋からビラケム橋までセーヌ川の真ん中に細い中州があり,白 鳥の島(小径)とよんでいる。グレネル橋の下には先ほどの自由の女神像が建ってい…
ジャヴェル駅の目の前,セーヌ川に緑色の鉄骨橋が架かっている。ミラボー橋である。フランス革命最初期の主人公の1人ミラボーの名にちなんでいる。ミラボーは自身が特権貴族階級にもかかわらず,第三身分(平民)代表として議会に席を置き,1789年の大革命では…
RERのC線ジャヴェル駅で下車。目の前にセーヌ川が,この辺りでは北西から南東に向って流れている。ジャヴェル駅周辺はかつてシトロエンの工場があった地域だ。シトロエンは第一次世界大戦後の1919年にフランスで設立された自動車会社である。大戦中アメリカ…
サクレクールでしばし休憩をとったあと,今度は丘を北に下っていく。出発はサクレクール西側のテルトル広場からはじめよう。しかしこの広場に長居は無用だ。お土産用の絵と似顔絵描き,モンマルトルらしい一画ではあるが,それとともに観光客でごったがえし…
「洗濯船」前の坂道を更に登り,ガブリエル通りを東へ東へと進めば,モンマルトル最大のランドマーク,サクレクール寺院が見えてくる。 サクレクール寺院は比較的新しい教会である。隣国プロイセンとの間に勃発した普仏戦争(1870-71)の戦没者慰霊のため,19…
ムーラン・ルージュを左に折れて,緩やかな坂道を北に上る。いわゆるモンマルトルの丘に登ろうとしている。アベス通りに出て再び左に折れるとすぐに道が上りと下りの二手に分かれる。右側の登り道に入るとすぐ,ゴッホが一時弟のテオと住んでいたアパートが…