You ain't heard nothing yet!

ある社会科講師の旅の回想録

You ain't heard nothing yet!(お楽しみはこれからだ!)

サイゴンの一番長い日~ベトナム紀行⑧~

 朝食は5階のブリーズ・スカイ・バーでとる。一部オープンテラスとなっている。もちろんビュッフェ形式だが,頼むと好みの卵料理はもちろん,フォー(ベトナム麵)やベトナムアイスコーヒーも作ってくれる。1975年,産経新聞の特派員であった近藤紘一がサイゴン陥落の4月の様子を『サイゴンのいちばん長い日』というルポに記録している。その中で登場するレストランはたぶんここのことであろう。

正午過ぎ一人で昼食に出た。レストランを物色しながら,ツゾー通り(現在のドンコイ通りのことか?)をサイゴン川の方へ歩き,思いついて,河岸に面したマジェスティック・ホテル入った。造りは古いが,町で一番格式の高いホテルである。6階のレストランに上がり,まっすぐ窓際の席に行って腰を降ろす。

いちばん簡単な定食を注文したあと,テーブルに肘をついて,窓の向こうに広がる川向こうの形式に目をやった。河岸にぎっしりと密集した粗末な家々。白い教会の塔。米国清涼飲料水や日本製電気器具の,巨大な立て看板,その背後にはてしなく広がる水田やヤシの茂み―。

そして

さえぎるものもない窓の向こうの広がり,……

(『サイゴンのいちばん長い日』1975年4月18日 文春文庫)

 

 その風景をその場所から目にした。サイゴン川の対岸に教会がみえる。その先に広がるのはヤシの茂みであろうか。確かに地平線までさえぎるものもない。ただ1975年と違うのは,今はいくつかポツンと高層ビルが建つのと,当時は戦争の音にみちあふれていたことだろうか。

 

すぐ先の上空をヘリコプターが行き来し,ときおり,二,三機そろって急降下を繰り返していた。

 

 4月27日,このレストランが北ベトナムの攻撃を受けたことも書かれている。

 

河畔のマジェスティック・ホテルにロケット砲弾が命中し,六階の食堂がやられたという。…

 玄関口で警官が三人ピケをはっていたが,「バオチ(新聞)だ」と告げると,すぐ中に入れてくれた。エレベーターは動いていた。短い廊下を通って食堂に行き,目を疑った。広い室内は完全にぶざまなガラクタの物置だ。川向うから飛んできて,屋根を直撃したらしい。天井が半分ほど,内側にまくれ,広い青空がのぞいている。壁板ははがれ落ち,イスもテーブルもクズ鉄のようにひしゃげて,部屋の四隅になぎとばされていた。…

「ガルソン(ボーイ)が一人死んだよ。運が悪かったんだな」警官は肩をすくめた。(『サイゴンのいちばん長い日』1975年4月27日 文春文庫)

 

 1975年4月30日,マジェスティックが面するサイゴン川に沿った大通りに北ベトナムの兵士を乗せた中国製・ソ連製のトラックが列をなした。この日サイゴンは陥落し,南ベトナム(ベトナム共和国)は消滅した。北ベトナムから見ると,「サイゴン解放」となる。

 ぞくぞくと河畔にのりつける北・革命政府軍の姿にみとれながら,誰かが,

 「とにかく一難は去ったな」といった。

 「強そうだな。これじゃ,かないっこない。降伏宣言がもう少し遅かったら,オレたちもひでえ目にあったろうな。」

 同感だった。歴史が変わった。ついにみとどけた―つとめて何回か自分にいいきかせた。だが,”新聞記者冥利”などという思いは少しもわいてこない。窓を離れ,無人の記者クラブに戻ってソファに腰を降ろした。ポケットからタバコを取り出そうとした時,はじめて自分の手が汗でぬるぬるになっているのに気が付いた。

(『サイゴンのいちばん長い日』1975年4月27日 文春文庫)