ベトナム
ニョクマムの香りにまみれて,マーケットには衣料品店や雑貨店がところ狭しと並んでいる。店主や店番はたいてい女性である。若い店員の多くは半そでのシャツに短い黒いタイトのスカート,足を組んで,やはりあの低い椅子に座りスマートフォンをいじっている…
ベンタイン市場は先に訪れたビンタイ市場と名前はよく似ているがホーチミン市の中心寄りにあるマーケットである。中華街にあるビンタイ市場とは違ってこちらはどちらかというと西洋風の建築である。 マーケットに入る前に雲行きが怪しくなってきた。ポツポツ…
ビンタイ市場に近いチャータム教会は,カトリック教会である。クリーム色の聖堂の尖塔が特徴的であるが,赤い門柱と瓦屋根の門,聖堂の前のマリア像を囲う屋根,これらは何とも中国風でミスマッチである。門には「天主堂」という文字が書かれている。ここで…
チョロン地区へいく。マジェスティックからだと南西に5~6㎞のところ,ホテル前からタクシーを捕まえて行くのだが,支払いはベトナムドンになる。運転手にあらかじめいくらぐらいかかるかと尋ねておく。あとでトラブルにならないための海外での常識である。…
パリ・コミューン広場に面して中央郵便局がある。この建物もまた大聖堂と同時期に建てられたコロニアル建築である。その門構え,内部の天井のアーチや接客窓口などはヨーロッパの駅を思わせる。奥にはホー=チ=ミンの写真(? 肖像画であったか?)が飾られ,…
ベトナムに大きな影響を与えた人物にアレクサンデル=ドゥ=ロード(ローズ)というフランス人がいる。イエズス会の宣教師で17世紀の人物である。 ベトナムにはベトナム文字という民族文字が存在しない。ベトナムは古くから北部は中国の,南部はクメール王朝(…
ドンコイ通りをさらに北西に歩くと,その先に街路樹の隙間から赤煉瓦の建物が見えてくる。サイゴン大聖堂。フランス植民地時代に建てられたカトリックの教会である。グレアム=グリーンは『おとなしいアメリカ人』の中で,その場所を「悪趣味なピンク色の大…
第一次インドシナ戦争を題材にとった映画には『インドシナ』(1992)というフランス映画がある。こちらはカトリーヌ=ドヌーヴ主演ということで飛びついた。彼女が若いころ主演した『シェルブールの雨傘』(1964),『ロッシュフォールの恋人たち』(1967)は私が…
マジェスティックはホーチミン市の目抜き通り,ドンコイ通りの南東の端にある。まずはこの通りを北西に歩く。通りはカフェやブティック,雑貨店など旅行者向けのショッピングストリートになっている。建物はたいてい3~4階建で圧迫感はない。通りの両サイド…
マジェスティックには世界の数々の著名人が宿泊しているが,その中にはベトナム戦争を取材し,あまりにも有名な『安全への逃避』をはじめ,数々の写真を残した戦場カメラマンの沢田教一もいる。彼は1970年,カンボジアを取材中に命を落としている。 同じ時期…
朝食は5階のブリーズ・スカイ・バーでとる。一部オープンテラスとなっている。もちろんビュッフェ形式だが,頼むと好みの卵料理はもちろん,フォー(ベトナム麵)やベトナムアイスコーヒーも作ってくれる。1975年,産経新聞の特派員であった近藤紘一がサイゴン…
ホテル・マジェスティック・サイゴン サイゴンではコロニアル様式のクラシックホテルと決めていた。選択肢は早くから2つに絞っていた。コンチネンタルかマジェスティックである。悩んだ末にマジェスティックに決めた。決め手は予約の際の無料サービスが充実…
大学の二次試験を終えたあと,そのまま大阪梅田の映画館に立ち寄って見たのは『7月4日に生まれて』(1989)であった。映画好きではあったが,奈良の田舎出身の私の近くに映画館はなく,大阪まで出ないとロードショーをみることはできなかった。深夜を含めてテ…
アメリカ人,ベトナム人両者の生き地獄が8年間続く。アメリカ兵の中には精神に異常をきたすものもいた。多くの兵が帰国してなお,その後遺症に悩まされた。ベトナム戦争を題材にとった映画の多くは,崩壊していくアメリカ兵の精神状態に焦点があてられている…
ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイに…
ベトナム戦争について簡単に話しておかなければならない。 19世紀末からベトナム・ラオス・カンボジアの三国はフランスの保護国となった。これをフランス領インドシナという。保護国とは植民地の体のよい別称である。第二次世界大戦が始まり,宗主国フランス…
「サイゴンに行く。」この都市をつい「サイゴン」と呼んでしまうのは,やはりベトナム戦争の記憶からであろうか。とはいえ私にとってのベトナム戦争は,現実の戦争・戦闘についてのことではない。戦争が終結した1975年といえば,私はまだ小学生にもならない…