大学の二次試験を終えたあと,そのまま大阪梅田の映画館に立ち寄って見たのは『7月4日に生まれて』(1989)であった。映画好きではあったが,奈良の田舎出身の私の近くに映画館はなく,大阪まで出ないとロードショーをみることはできなかった。深夜を含めてテレビで隈なくみるのが,私の映画鑑賞であった。ビデオデッキはあったが,レンタルビデオはまだ一般的ではなかった時代である。
『7月4日に生まれて』は,トム=クルーズ演じるベトナムで負傷した帰還兵が反戦運動に身を投じるストーリーである。「7月4日」はアメリカの独立記念日を意味している。抗議の的はニクソン政権と大統領再選を狙うリチャード=ニクソンその人であった。
ベトナム戦争への介入を開始した民主党ジョンソン大統領にかわって,1968年の大統領選挙に勝利したのは共和党のニクソンであった。国内外で反戦・厭戦ムードが高まり,戦費も増大する中,ニクソンはニクソン=ドクトリンを発表する。その内容は「ベトナム化政策」。ベトナム戦争をベトナム人同士の戦いに。つまりアメリカは手を引くということである。
アメリカにとってのベトナム戦争は,1973年,パリ和平協定で終結する。最大の抑止力を失った南ベトナムには北ベトナムの侵攻を防ぐ力はなく,1975年,南ベトナムの首都サイゴンは陥落する。翌年,南北統一選挙・統一国会が開催され,ベトナムは再統一した。ベトナム社会主義共和国。首都はハノイに置かれ,金星紅旗(ベトナム国旗)が全土に翻った。国旗の赤は社会主義国の特徴であり,フランス革命以降,革命のシンボルカラーである。革命で流した血を象徴している。
戦死者の数は,南ベトナム陣営(アメリカ・南ベトナム・その支援国)で30万人近く,北ベトナム・NLF陣営で約100万人。民間人の犠牲者はそれよりはるかに多く,行方不明者を含む犠牲者は勝利した北側陣営が南側をはるかに上回った。クラスター爆弾,ナパーム,枯葉剤,その他第二次大戦をはるかにしのぐ弾薬を投下しながら,戦争はアメリカの事実上の敗北に終わった。
その後,ベトナムは隣国(カンボジア,中国)との紛争に入り,これを第三次インドシナ戦争ともいうが,これについてはもう割愛する。したがって以上がベトナム戦争についての,これでも概要である。いろんなことを端折っても,ベトナムを知るためには以下の三点を抑えておくとよい。
・ベトナムはフランスから独立したこと。
・ベトナム戦争でアメリカに勝利したこと。
・ベトナムは社会主義国であること。