映画
タイムズスクエアからはブロードウェイを北上する。マンハッタンの大通りの中でブロードウェイだけが,直交する街路の中を斜めに貫くのは,17世紀のオランダ植民地時代にはすでに主要道路として拓けていたからである。 現在,「ブロードウェイ」という語は,…
七番街を北上すると,やがてマンハッタンを斜めに横切るブロードウェイと交差する地点にでる。タイムズスクエアである。20世紀初め,ニューヨークタイムズの本社ビルがあったことからこう呼ばれる。新聞社があったことからスクエア(広場)を囲む建物の外壁に…
この日の午前中はタ=プロームにいく。タ=プロームはシェムリアップ川を挟んでアンコール=トムの東に位置する。この日はホテル前でトゥトゥクを拾って出かけた。二人で往復15$。少し高い気もしたが,距離的にも納得して乗り込んだ。 タ=プロームはアンコ…
ランキング参加中旅行 ランキング参加中歴史 ランキング参加中映画 「この夏はカンボジアに行こう。」その夏そう思い立って,ポンちゃんに話すと,いつもと違ってその返事は快いものではなかった。たいていどこへでも,私に付いてきたがる彼女であったが,「…
朝の急行でローマに向かう。着いたのはローマ・テルミニ駅。「テルミニ」は英語の「ターミナル」である。日本語では「始発駅」あるいは「終着駅」であるが,「始発駅」ではあまり趣がない。「終着駅」というと,文学作品や映画のタイトルにもなりそうで感じ…
ミラノである。世界的な観光都市である。ファッションの最先端をいく都市である。何事か観光ガイド的な紹介を期待するかも知れない。私にとってこの都市は通過点の1つに過ぎなかった。何しろ今では誰しも足を運ぶサンタ=マリア=デッレ=グラツィエ修道院に…
スイスの首都はベルンというところにあるが,チューリッヒはスイス最大の都市といってよい。「Zurich」と綴って,英語だと「ズーリック」という発音になる。「-ch」を「ヒ」と発音するのはドイツ語の特徴で,スイス北部,ドイツに近いこの辺りはドイツ語圏で…
ドイツに別れを告げてスイスのチューリヒに向かう。向かうのだがまっすぐチューリヒを目指しても面白くないので,前夜トマスクック時刻表をながめながら少し遠回りしてオーストリア経由のルートを思い立った。 オーストリアはそもそも旅程にはなかったが,こ…
ミュンヘン中央駅に戻り,午後はダッハウへ向う。Sバーン(S2線)とよばれる近郊ローカル線にのる。ダッハウ駅まで約20分。駅前のバス乗り場からバスにのって約10分。ダッハウ強制収容所に着く。英語表記で「concentration camp」と書かれている。「強制収容所…
ルートヴィヒ2世についてはヴィスコンティが監督した『ルートヴィヒ 神々の黄昏』(1972)という映画がある。私が見た当時,VHSのビデオテープで2本組みの大作であった。その長さは約4時間。これといったクライマックスもなく,ただ淡々とルートヴィヒ2世の即…
ノイシュヴァンシュタイン城の主はルートヴィヒ2世(1846-88)。彼が幼少期を過ごしたのが,彼の父が改築したホーエンシュヴァンガウ城であった。父マクシミリアン2世がこの城を購入したとき,城の名はシュヴァンシュタインといった。シュヴァンは「白鳥」意味…
翌朝,食堂兼宿屋の1階で朝食をとる。いわゆるコンチネンタルブレックファスト。ヨーロッパ大陸の簡素な朝食である。コーヒーにパン。しかしこのパン,見たことも食べたこともないような,そして食べきれるはずのない量。そして何よりジャムの種類の豊富なこ…
チョロン地区へいく。マジェスティックからだと南西に5~6㎞のところ,ホテル前からタクシーを捕まえて行くのだが,支払いはベトナムドンになる。運転手にあらかじめいくらぐらいかかるかと尋ねておく。あとでトラブルにならないための海外での常識である。…
パリ・コミューン広場に面して中央郵便局がある。この建物もまた大聖堂と同時期に建てられたコロニアル建築である。その門構え,内部の天井のアーチや接客窓口などはヨーロッパの駅を思わせる。奥にはホー=チ=ミンの写真(? 肖像画であったか?)が飾られ,…
第一次インドシナ戦争を題材にとった映画には『インドシナ』(1992)というフランス映画がある。こちらはカトリーヌ=ドヌーヴ主演ということで飛びついた。彼女が若いころ主演した『シェルブールの雨傘』(1964),『ロッシュフォールの恋人たち』(1967)は私が…
マジェスティックはホーチミン市の目抜き通り,ドンコイ通りの南東の端にある。まずはこの通りを北西に歩く。通りはカフェやブティック,雑貨店など旅行者向けのショッピングストリートになっている。建物はたいてい3~4階建で圧迫感はない。通りの両サイド…
大学の二次試験を終えたあと,そのまま大阪梅田の映画館に立ち寄って見たのは『7月4日に生まれて』(1989)であった。映画好きではあったが,奈良の田舎出身の私の近くに映画館はなく,大阪まで出ないとロードショーをみることはできなかった。深夜を含めてテ…
アメリカ人,ベトナム人両者の生き地獄が8年間続く。アメリカ兵の中には精神に異常をきたすものもいた。多くの兵が帰国してなお,その後遺症に悩まされた。ベトナム戦争を題材にとった映画の多くは,崩壊していくアメリカ兵の精神状態に焦点があてられている…
ジュネーブ休戦協定,これにベトナム国とアメリカは署名しなかった。ソ連と冷戦を争うアメリカにとって共産主義勢力の拡大には同意できるはずがなかった。アメリカはすぐさま,フランスに代わって南ベトナム(ベトナム国)を支援。フランス傀儡のバオ=ダイに…
1916年2月,ここヴェルダンでドゥオモン要塞を巡って第一次世界大戦最大の会戦が繰り広げられた。侵攻してきたドイツ軍をフランスが迎え撃つ。しかしドイツは一方でロシアとの戦いも強いられていたため,ヴェルダンの戦いは12月に終結する。結局両者とも戦前…
大聖堂をあとに,その足をさらに西へと進めてみる。少し時間がかかるがやがて大きな川に出る。ライン川,向こう岸はドイツである。いくつか橋がかかっているようだが,私が訪れたときはまだ橋の通過にはパスポートが必要だった。現在は出入国管理はおこなわ…
リヨンからルピュイという町を訪ねる。「ピュイ」とはフランス語で「丘」を意味する。リヨンからルピュイまではサン=エチエンヌで乗り換えてローカル線で2時間半。降りるとその町名に納得する。むき出しの岩山が地面から突き出している。それだけではない,…
カヌビエール通りを抜けると,マルセイユの顔というべきベルジュ埠頭に出る。所狭しとヨットやクルーザーが停泊している。埠頭には朝から漁師がとってきた新鮮な魚を売る朝市が立つようだが,私の行った午後の時間帯にはもう魚を売る人は1人もいなかった。 …
マルセイユのサンシャルル駅は町を見下ろす高台にある。ホテルは駅のすぐ隣にあるArcadeというところにすぐに決まった。(現在はIbisホテル)駅至近にホテルをとるのは,列車移動に便利なのと,駅には食堂が集まっているため,食いっぱぐれることがないからで…
セーヌ左岸に宿泊したのは,ロンドンから鉄道で海峡を越えてパリに立ち寄ったときであった。到着駅パリ北駅からRER:B線でシテ島向いのサンミシェル・ノートルダム駅で降りる。翌日はシャルル=ドゴールから空路帰国する予定であったため,空港へ直通するB…
シテ島のもっとも西側,つまり下流にかかっている橋がポン・ヌフ。これもまた私の勘違いで,「ヌフ(neuf)」はフランス語で数字の「9」なので「第9橋」だと思い込んでいた。事実シテ島とセーヌ両岸は9本の橋でつながっている。しかし「neuf」にはもう1つ「新…
「パリの空の下セーヌは流れる」というフレーズは,フランス映画(1951)からである。映画の主題歌『パリの空の下(Sour ciel de paris)』はだれもが耳にしたことがあるシャンソンの代表選手である。シャンソン界の大御所エディット=ピアフはじめ,多くのフラ…
コンコルド広場からテュイルリ庭園に入るとまず,左手(北側)にジュ・ド・ポーム,右手のセーヌ川沿い(南側)にオランジュリー美術館がある。モネの「睡蓮」を見たければオランジュリーに,現代写真に興味があればジュ・ド・ポームへと足を運ぶ。 「ジュ・ド・…
1873年(明治6年)のことである。日本から岩倉具視を代表とする遣欧使節団がパリを訪れる。その子細は久米邦武による『米欧回覧実記』に記されているが,久米がみた凱旋門やパリの姿と我々がみるパリの姿は基本的にはそれほど違いはなさそうである。 「100年ほ…
ミラボー橋からエッフェル塔に向ってセーヌ川沿いを上流へと歩く。ミラボー橋の1つ上流の橋はグレネル橋。グレネル橋からビラケム橋までセーヌ川の真ん中に細い中州があり,白 鳥の島(小径)とよんでいる。グレネル橋の下には先ほどの自由の女神像が建ってい…