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ある社会科講師の旅の回想録

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インドシナ戦争~ベトナム紀行②~

 ベトナム戦争について簡単に話しておかなければならない。

 19世紀末からベトナム・ラオス・カンボジアの三国はフランスの保護国となった。これをフランス領インドシナという。保護国とは植民地の体のよい別称である。第二次世界大戦が始まり,宗主国フランスがドイツの支配下に入ると,その隙をついて日本軍がこの地に進駐する。この間,ホー=チ=ミンらインドシナ共産党のベトナム独立に向けての運動が水面下で進んでいた。ホーらは共産党員以外にも広範な階層・主義者を取り込んでベトナム独立同盟会,通称:ベトミンを組織し,抗日(のちに反仏)のゲリラ活動を展開する。

 1945年8月,日本が降伏したのを機に,ベトミンが先頭に立って民衆の蜂起が始まった。八月革命である。このときまだ宗主国フランスは,植民地経営に復帰できずにいた。「権力の空白に乗ずる」とはこのことで,ホーはハノイでベトナム民主共和国の樹立を宣言する。東南アジア最初の社会主義国であった。このとき帰国できなかった日本兵の中には,革命に手を貸し,そのままベトナムの地に留まったものもいた。その血を受け継いだ家族は今でもベトナムで暮らしいるという。

 年が明け1946年,フランスが戻ってきた。フランスはベトナムの独立を認めなかった。経済都市としての側面が強かった南部のサイゴンを首都としてフランスが傀儡政権を樹立,国名をベトナム国とした。(当初はコーチシナ共和国)元首として担がれたのは,かつてのベトナムの統治者,阮王朝最後の皇帝:バイ=ダイである。これでベトナム国内には2つの政権が並立することになり,国内外入り乱れての戦争が始まった。インドシナ戦争である。

 やがて戦争はベトナムの独立問題に留まらず,東西冷戦の代理戦争の様相を呈する。社会主義政権のベトナム民主共和国にはソ連と中国が,ベトナム国にはフランスに加えアメリカがそれぞれ援助に回る。ちょうど1950年には朝鮮戦争が始まり,アジアは冷戦ならぬ熱戦の舞台と化す。

 1954年,戦争の転機となったのはハノイの西,ラオスとの国境近くのディエンビエンフーでの戦闘であった。戦争は目下,ゲリラ戦を展開するベトミン軍(ベトナム民主共和国)の有利な情勢にあった。フランスはベトナム国を後方支援するわけだが,その補給基地として抑えていたのがディエンビエンフーである。ここには旧日本軍が設営した空港があった。ベトミン軍はこの町をおとすことで,戦局をさらに有利にしようとする。

 作戦を指揮したのは,大戦中からホーの右腕としてゲリラ戦を生き抜いたグエン=サップ総司令官。「赤いナポレオン」の異名をもつ,ベトナムの英雄である。戦闘はインドシナ戦争最大のものとなった。多くの犠牲を出しながらもベトミン軍が勝利し,ディエンビエンフーは陥落した。フランスはベトナム撤退を余儀なくされた。

 ディエンビエンフーの決戦と並行して,スイスのジュネーブにおいて関係各国が集まり,和平に向けての話し合いも進んでいた。フランスの敗北が決定的となると,ハノイ政府は強硬姿勢で交渉に臨んだが,中国の周恩来,イギリスのイーデン首相らの説得もあって,ジュネーブ休戦協定が成立する。合意内容は以下の通りである。

・ベトナム,ラオス,カンボジアの独立承認。

・北緯17度線を軍事境界線とし,フランス軍の北ベトナム・インドシナからの撤退とベトミン軍の南ベトナムからの撤退。

・ベトナムは南北に分離し,56年の自由選挙で統一。

 これにてインドシナ戦争は終結した。かに見えた。このインドシナ戦争は第一次であり,続きがある。第二次ともよばれる,いわゆるベトナム戦争である。